伊豆味に「慰安所」置かれる 高山朝光さん 山の戦争(40)<読者と刻む沖縄戦>


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現在の本部町伊豆味の集落

 1944年夏から宇土部隊が駐屯した本部町伊豆味では、住民と兵士が混在し、集落の雰囲気は変わっていきます。伊豆味国民学校(現伊豆味小中学校)に通っていた高山朝光さん(86)=那覇市=ら住民は集落の変化を肌で感じていました。日本軍の「慰安所」も置かれます。

 「沖縄県史」に収録された証言によると「閑静な伊豆味の村が、すっかり殺伐たる兵隊の町に変貌を遂げてしまっていた」といいます。「酒色に耽(ふけ)っていた」という宇土武彦隊長の悪評も住民の間で広がりました。

 伊豆味に日本軍の「慰安所」があったことを高山さんは覚えています。

 「日曜日になると兵隊が順番待ちで並んでいたと大人たちが話していました」

 ここがどういう場所なのか、小学生の高山さんは知りませんでした。戦後、「慰安所」として使われた建物を訪ねました。「新品の襟章がありました。コンドームが入っている箱もありました。風船替わりにコンドームを膨らませました」と高山さんは話します。

 高山さんの母は集落近くで壕を掘っていた兵士らに天ぷらを売ることもありました。

 45年3月末、空襲が激しくなり米軍の上陸が近づきます。宇土部隊の本部は伊豆味国民学校から八重岳の中腹に拠点を移します。

 高山さん家族7人は母の実家がある八重岳の壕に避難します。その壕は宇土部隊の拠点の近くにありました。