女優の黒島結菜(24)は1997年、浦添市で生まれ、3歳の時から糸満市で育った。潮平小学校では駅伝チームの主将を務めた。スポーツ好きで活発な少女だった。
「アンカーを走って優勝したんです。外で遊ぶのが好きで、公園で木登りばかりやっていた。はしゃぐのが大好きだった」
活動的だった黒島は糸満中学校に通うようになり、少し変わった。「小学校までは割と同じ友達と過ごしたが、中学校で新しい友人ができる環境になると、自分が人見知りであることを知った。それからはおとなしくなり、あまり前には出ない性格になった」と振り返る。
引っ込み思案の中学生だったが、家族の薦めがきっかけとなり、モデル活動を始めた。それが芸能界への入り口となった。
2012年、校風に引かれて糸満高校に入学。CM、ドラマや映画出演のため東京と沖縄を往復する高校生活が始まった。
「糸満高校は『文武両道』で、勉強もスポーツも頑張ろうという学校だった。私は部活動はできないけれど、学業と仕事が両立できる学校がいいなと思い、糸満高校を選んだ」
慌ただしい日々の中で、心が和む場所があった。校舎の5階、音楽室に通じる廊下である。
「お昼休みに空き教室から椅子を廊下に出して、外を眺めながら友達とお弁当を食べた。遠くに海が見える。グラウンドでサッカーをして遊んでいる男子を5階から見ていて、『ああ、高校生しているな』と感じた。高校の一番の思い出は、これかな」
芸能活動のため、学校を休みがちな黒島を友人たちは温かく支えた。「クラスの友達は本当に協力してくれた。先生もよくしてくれた。人に恵まれたと思う」と振り返る。
担任教師とは衝突することもあった。「先生がちゃんと叱ってくれたのに反抗して、けんかっぽくなった。2人で泣きながら言い合いをしたこともあった。ぶつかり合いながら仲が深まった」
高校2年、3年の担任だった上原瞬(37)は黒島のことを「結菜」と呼ぶ。黒島は上原と真正面から向き合い、ぶつかってくる生徒の一人だった。「厳しいことを言ったこともある。結菜は忙しくて、普通の高校生活を送ることができなかった。そのことを、もっと受け止めてあげればよかった」
黒島の印象を「芯があり、きっぱりと物を言う。探究心も強い。とても目力があった」と語る。ドラマで凜とした女性を演じる黒島を見ていて「あの目だ。素の結菜が出ている」と感じる。今も年に数回、メールを交わす仲だ。
3年生になった14年6月、黒島は東京の高校へ転籍した。「もう少し頑張れば糸満高校を卒業できたが、仕事に集中したかった。このタイミングで上京した選択は間違ってなかった」と断言する。
夏休み前の7月上旬、クラスメートに別れを告げるため、糸満高校の制服を着て登校した。クラスの仲間は黒島のために一足早い卒業式を用意してあげた。「みんな応援してくれているんだと気付いた。頑張ろうと思えた瞬間だった。大事な思い出です」
NHK朝の連続テレビ小説「ちむどんどん」のヒロインとなった黒島。「沖縄で撮影できるのは、すごくうれしい。沖縄の空気、自然と触れながら撮影できる。最高の形で沖縄に帰ることができる」
卒業証書を手にすることがなかったが、糸満高校で過ごした年月は女優として生きる糧となった。友の応援を支えに、黒島は沖縄ロケに臨む。
(文中敬称略)
(編集委員・小那覇安剛)
黒島結菜さん「お気に入りは廊下」泣いて笑った糸満高校
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1433251.html
【糸満高校】
1946年1月 開校(16日)、首里分校設立(27日、3月に首里高校独立)
3月 真和志分校設立(9月に首里高校と合併)
5月 久米島分校設立(48年6月に久米島高校独立)
56年4月 定時制課程設置(74年に廃課程)
88年6月 県高校総合体育大会で男女総合優勝
2011年8月 野球部が夏の甲子園に初出場
15年3月 野球部が春の甲子園に初出場