10日に亡くなった頼和太郎さんは長年、市民団体「リムピース」の編集長を務めてきた。在日米軍基地の動きを探る日本各地の市民が互いの情報を共有するため、頼さんら有志が1996年にリムピースを発足させた。集めた情報は「追跡! 在日米軍」と題するホームページで広く市民に提供し、知る権利の確保を貫いてきた。
【訃報】在日米軍監視リムピースの頼和太郎編集長が死去 海上カヌー転覆
基本理念は「正しい情報に基づき、正しく指摘する」。在日米軍の運用には「思いやり予算」などで莫大(ばくだい)な税金が投入されている。納税者として知る必要があると考えた。違法な手段を取らずに、さまざまな手法を駆使して入手した資料を基に、米軍の運用実態を明らかにしてきた。
徹底した現場主義の人だった。日本各地の米軍基地を定期的に訪ねては訓練や運用実態を監視した。沖縄にも頻繁に足を運び、各地の基地を回った。さらに米軍機の事故報告書や基地の運用指針などの膨大な米軍資料を丹念に探り、新たな事実をいくつも突き止めた。
1994年10月に高知県北部の早明浦ダムで米軍機が墜落し、乗員2人が死亡した事故は低空飛行によるものだった。頼さんは事故から間もなく、在日米軍が日本各地の上空に8本の低空飛行経路を設定していたことを米軍資料で突き止めている。
事故は「オレンジルート」での訓練中に起きていた。米軍は当時、低空飛行経路の存在自体を明らかにしていなかった。米軍が公にしたのはそれから18年後。垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの沖縄配備に向けた環境レビューで初めて示した。
頼さんと初めてお会いしたのは1996年。沖縄の基地を巡るために来県した際、私が勤務していた当時の具志川支局を訪ねてくれた。それ以来、私を含む多くの同僚記者にさまざまな助言を与えてくれ、事実に肉薄することの重要性を教えてくれた。
頼さんは生前、こう言っていた。「(軍隊を)監視の目から外すことになれば、政府は軍拡に走ってしまう。情報は皆のもの。これまで通り監視を続けるだけだ」。突然の訃報に驚くばかりだが、在沖米軍基地の動向を探る取り組みは、取材記者という立場で私たちが引き継ぐことになる。
(松永勝利、琉球新報社広告事業局事業統括局長)
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