「まさか平島が見えなくなるなんて」基地建設で消えた風景、かなわない補償 辺野古土砂投入3年


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埋め立てが進み、区民が慣れ親しんだ平島が護岸に隠れて見えなくなった辺野古の浜=13日、名護市(喜瀬守昭撮影)

 【名護】沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、政府が沿岸部への土砂投入を開始して14日で3年を迎える。苦渋の末、条件付きで基地建設を容認した辺野古区では、区民が国に求める補償がかなわないまま、愛着ある海が埋め立てられている。「辺野古はこの先、どうなるのか」。区民は複雑な思いで海を見つめる。

 「平島が護岸に隠れてしまった」。8月、貝殻を拾おうと米軍キャンプ・シュワブに隣接する辺野古の浜に立ち寄った区民の70代女性は、様変わりした海にショックを受けた。元旦には見えていた辺野古崎近くの無人島・平島が、新基地の護岸の向こうに姿を消していた。

 平島は区民にとって「あって当たり前」の光景だった。女性の父が島周辺でタコやシロイカを採った豊かな海。学生時代は平島を眺めて友人と雑談し、成人後は家族で平島に行き遊んだ。「まさか平島が見えなくなるなんて。亡くなった辺野古のおじい、おばあがこの光景を見たら、何と言うだろう」

 移設案が浮上した際、辺野古区は高齢者が中心となって反対した。2006年にV字形滑走路建設で政府と市が合意すると、行政委員の一部が「1世帯1億5千万円」の個別補償を国に要請した。移設反対の高齢者が1人、また1人と亡くなる中、2010年に区は条件付き容認に転じた。沖縄防衛局は18年、個別補償には応じられない旨を区に伝えた。

 その後、国との補償交渉は進展しないままだ。「今も個別補償を期待する区民はいるが、基地を抱える地域が多数ある中で、辺野古だけがもらえる訳がない。新基地が完成しても、ベトナム戦争の頃のような繁栄はもう望めない。時代が違う」と女性は指摘する。

 新基地は造ってほしくない。しかし区内では、基地建設について自由に発言できない空気が漂っている。女性は「基地問題は難しい。でも容認も反対も、意見を出し合って将来を考えられる区になってほしい」と願う。
 (岩切美穂)