大野倫さん「沖縄もやれるんだ」殻を打ち破る勝利 甲子園連続凖Vの沖水<県勢アスリートの軌跡>


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うるま東ボーイズの又吉涼太郎を指導する大野さん(右)=2021年12月、うるま市与那城(喜瀨守昭撮影)

 「県民は、高校野球に自分たちの思いを重ね合わせ、球児に思いを託していたのかな」。1990年と91年、沖縄水産が全国高校野球選手権で2年連続で準優勝した。ナインの躍動は県民に自信と誇り、勇気を与えた。91年、チームの中心にいたのがエースで4番の大野倫さん(48)だった。

 「本土へのコンプレックスを抱きながら、殻を打ち破る時期だった。沖縄もやれるんだという、きっかけになったはずだ」と回顧する。
 印象に残っているのが1回戦の北照(北海道)戦。試合中盤のピンチの場面で、二塁走者が大きくリードを取っていることに気付いた。けん制球を投げようと遊撃の仲程正樹に目で合図を送るも反応がなかった。とっさに言葉が出た。「正樹、あれ、たっぴらかすよー」。相手に気付かれずにアウトを取った。「じんぶん(知恵)が必要だし、方言が役に立った」と笑う。

1991年夏の甲子園で背番号1を背負い、沖水を2年連続の準優勝に導いた大野倫さん=1991年

 準決勝で鹿児島実業を破ると「薩摩に勝った」と喜ぶおばあさんがいた。「復帰前、首里が甲子園の土を沖縄に持ち帰ることができなかった出来事もそう。野球で歴史を語ることができる」

 「昭和時代のスパルタ方式は絶対良くない」と断言する。「時代に合った指導をし、その中で社会の厳しさも教えていくべきだ」と熱いまなざしを向けた。 (大城三太)

おおの・りん 1973年4月3日生まれ、48歳。うるま市出身。沖縄水産高、九州共立大を経てプロ野球の巨人などで活躍。現在、うるま東ボーイズの監督を務める。

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 沖縄の日本復帰から今年で50年の節目を迎える。沖縄スポーツにとっての半世紀は、各競技の“うちなーアスリート”が日本、世界の大舞台で熱いドラマを紡ぎ、これに県民が心震わせてきた歴史でもある。郷土の期待を背に躍動する姿に県民は夢と希望を見いだした。年代を代表する選手や、象徴的な出来事に関わったエピソードを通して50年間の軌跡をたどる。

▼【復帰50年 県勢アスリートの軌跡】