「転んだ回数だけ、糧に」最年少でリクルートHDの取締役に 瀬名波文野さんが伝えたいこと


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リクルートホールディングス取締役の瀬名波文野さん=12月14日、東京都千代田区の同社

 【東京】情報サービスやIT事業など約350社を傘下に置くリクルートホールディングス(東京)の役員を務める瀬名波文野(あやの)さん(39)=北谷町出身。2020年6月に取締役に、翌年には取締役・常務執行役員兼COOに就任した。日本の時価総額上位50社の中では最年少の取締役。自身のキャリアを振り返り「転んだ回数だけ、糧になる。たくさんの失敗をして、泣いて、どん底から起き上がってきた」と語る。

 高校生のころ、入学した昭和薬科大付属高校で授業についていけず、孤独にさいなまれた。登校時に号泣しながらバス停に向かっていた時、そのことを知った小学校時代の友人が心配して声を掛けてくれた。「私には帰る場所がある、家族がいる、友人がいる」と気付いた。

 「あの温かさが支えになった。たくさん勉強してきた人と比べて能力が低いのは当たり前。自分で決めたこと。頑張ろうと思った」。この体験がその後の生き方の道しるべとなった。

 企業の採用支援などに関わり、営業職だった入社7年目、英国の人材派遣会社勤務の社内公募があった。「ビジネス英語」「マネジメント経験」「駐在経験」といった条件が並んだが、どれも満たしていなかった。面接では、新しい場所で挑戦したいとの熱い思いを語り、駐在が決まった。「最後は私の情熱に賭けてくれた」と笑う。

 渡英後、厳しい現実が待ち受けていた。「現地の社員には、買収元から『20代のお姉ちゃんが来た』という感じだった。情報ももらえず、提案しても聞いてもらえなかった」

 3、4カ月間、全く仕事ができなかった。悔しくて泣き明かした翌日、天気の良い日で気持ちいい風を感じた。怒りがふっと消えた。「人のせいにしても何も変わらない」。能力と経験が足りないという事実に向き合い、人を巻き込み業績の改善を成し遂げた。その後、現地法人の社長に任命された。

 「運や縁に助けられてきたがそれは1、2回で終わる。もらった機会で、しっかり成果を出さないと次につながらない」と強調する。

「故郷があるから、今の私がいる。どこかのタイミングで沖縄に帰り、何か役立つことをしたい」。沖縄への思いを持ち続けている。

(問山栄恵、写真も)
 

せなは・あやの  1982年生まれ、北谷町出身。早稲田大学卒業後、2006年にリクルートホールディングスに入社。経営企画室を経て08年に大手企業の営業担当。12年にロンドン赴任、14年に買収の人材派遣会社で最高業務責任者。18年からリクルート執行役員、求人検索サイトの米インディードのチーフオブスタッフに就任。20年に取締役、21年より取締役兼常務執行役員兼COO。


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