「オール沖縄」と岸本氏の敗北 辺野古、再編交付金・・・争点以前の問題点<明暗…名護・南城市長選>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
岸本洋平氏(右から2人目)と岸本建男元市長の遺影を掲げる岸本能子さん(左端)=16日、名護市宇茂佐

 「亡き父、岸本建男の思いを受け継ぎ、誇りある小さな世界都市・名護を築く」―。名護市長選が告示された16日、新人の岸本洋平氏(49)は地元、宇茂佐区の演説で力を込めた。傍らで演説を見守る母・能子(たかこ)氏の腕の中には、岸本建男元市長の遺影が抱かれていた。

 建男氏は、米軍普天間飛行場の辺野古移設が初めて争点となった1998年の市長選で当選。市長就任後に、15年の使用期限など七つの条件を付けて、沖合2・2キロの位置に軍民共用の海上滑走路を建設する辺野古移設を容認した。

 だが、その後の米軍再編協議により、キャンプ・シュワブ沿岸部を埋め立てて滑走路を建設する形へと移設計画を変更する案が浮上。建男氏は退任直前の2006年2月、住民の生活圏に近づく沿岸案の拒否を表明した。同年3月に建男氏が死去した直後、国は現行計画の沿岸案を決定し、建男氏との諸条件はほごにされた。

 洋平氏は「(建男氏は)条件を付けて国に対峙(たいじ)した。沿岸案は『論外』と言っていた。その遺志を胸に刻む」と強調した。

 洋平氏の選挙戦を支える、もう一人の女性がいた。政府と激しく対立し、任期途中で病没した翁長雄志前知事の妻・樹子(みきこ)氏だった。樹子氏も頻繁に名護市内の街頭で訴えに立ち、辺野古新基地を止めるという雄志氏の「遺志」を語った。

 岸本建男、翁長雄志両氏の「思い」を引き継ぐ候補者として位置付けることで、岸本陣営は「弔い合戦」を演出し、辺野古移設の最大争点化を強めていった。

 岸本氏が出馬表明した段階では、陣営内でも移設問題の比重を弱める案が出ていた。4年前の前回市長選で、当時現職だった稲嶺進氏が「辺野古偏重」で落選したとの分析があったためだ。

 ただ、昨年10月の衆院選で名護市を含む沖縄3区で「オール沖縄」の現職候補が落選し、辺野古反対の訴えの弱さが敗因と総括された。そして、同11月には玉城デニー知事が国の設計変更申請の「不承認」に踏み切ったことで、「(辺野古新基地建設で)賛否に言及しない現職との対立軸を明確にすべきだ」との方針に転換した。

 移設反対の立場を明確にする岸本氏に付いて回ったのが、現職の渡具知武豊氏(60)が市政運営の財源としてフル活用する「米軍再編交付金」の代替案だった。岸本氏が当選した場合、防衛省が交付を打ち切ることが確実視されていた。

 特に問われたのが、渡具知市政が肝いりの保育料・給食費・子ども医療費を無償化した「子育て3点セット」の継続だ。

 岸本氏も「子育て3点セット」は継続すると前面に掲げたが、渡具知陣営から再編交付金に替わる財源の提示を迫られると難航した。岸本氏は当初、行財政効率化による捻出を掲げたが、選挙戦が近づくにつれ予備費や市有地の活用など主張が変遷していった。

 新型コロナ禍が長期化し、市民の間に生活支援や経済再建策を政治に求める空気が強まる中で、「再編交付金に頼らない」とする主張は広がりを欠いた。渡具知氏に「(財源が)コロコロ変わってきている。私は公約を実現する」と逆手に取られ、塩を送る形ともなった。

 岸本陣営の関係者は「候補者本人の考えで代案を言い始めたものもあり、陣営で固められなかった」と争点設定や理論武装の弱さを悔やんだ。

 一方で、ある議員は「争点以前に、地域における組織力や運動量のあまりの弱さの問題だ。『辺野古反対』を言わなかったらもっと票差が付いていた」と苦言を呈し、国政野党勢力が共闘を組む形の「オール沖縄」の集票力低下に危機感を募らせた。
 (’22名護市長選取材班)


辺野古移設、渡具知氏が「地元中の地元」で語った胸の内<明暗…名護・南城市長選>