prime

復帰式典の招待に「末次さん」 影響受けた「保守思想」に変化 元琉球政府職員の復帰<世替わりモノ語り>1の続き


この記事を書いた人 Avatar photo 稲福 政俊
復帰にまつわる記念品を前に思い出を語る平川宗隆さん=2021年12月23日、那覇市内の自宅

 >>2つのパスポートと招待状 歴史の間で往来した「国境」から続く

 復帰の日、琉球政府職員を休職して青年海外協力隊の訓練中だった平川宗隆さんは、東京の復帰記念式典に招かれ、会場の日本武道館にいた。招待状が送られてきた理由は定かではないが、「末次さん」のおかげでは、と感じている。

 「末次さん」とは、佐藤首相の諮問機関「沖縄基地問題研究会」の事務局長だった故・末次一郎氏のことだ。民間人ながら自民党中枢と沖縄政界に人脈を築き、パイプ役を果たした。「沖縄返還の功労者」とも称される。青年海外協力隊の創設にも携わったため、隊員に選ばれた平川さんはかわいがられた。

 協力隊の訓練を終えた平川さんは、USCARではなく日本政府発行の公用パスポートでインドへ向かった。現地では水牛ミルク増産を目的とした交配実験など、協力隊の活動に従事。2年間の活動を終えて沖縄に帰った。歴史のはざまで沖縄、東京、インドの「国境」を行き来した平川さんにとって、復帰記念式典の招待状と二つのパスポートは、世替わりと自身の転機が交錯した記念品だ。

 復帰から50年目。末次氏の影響だった「保守思想」は、辺野古新基地を巡る政治家の態度を見て変わった。今も続く米軍の事件事故に心を痛め、反基地感情が爆発したコザ騒動時の気持ちが時々よみがえる。記念の品々に視線を落としながら「あっという間の50年だったね」とつぶやいた。
 (稲福政俊)


 2022年は復帰50年。復帰、海洋博、サミットなどの歴史的な出来事や、今はなき思い出の地、流行した歌や遊びなど、世替わりを経験した沖縄ならではの物語を、当時の品々(モノ)を通して紹介します。