沖縄戦・座間味に米軍上陸から77年 「集団自決」犠牲者に祈り ウクライナ重ね


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「集団自決」(強制集団死)の犠牲者らがまつられている平和之塔の前で手を合わせる参列者=26日、座間味村座間味

 【座間味】1945年3月26日、米軍が座間味村の阿嘉島に上陸し、座間味村内で起こった「集団自決」(強制集団死)から77年となる26日、同村座間味にある平和之塔では、雨の中村民ら35人が訪れ、亡くなった戦没者の冥福と、二度と悲惨な戦争を繰り返してはならないと、恒久平和を誓った。村は5年ごとに村主催の慰霊祭を開催しているが、今年は自由追悼となった。

 米軍の砲撃と日本軍の強制や誘導によって村民らが「集団自決」に追い込まれた。平和之塔には「集団自決」の犠牲者を含む村民647人、日本軍人376人、朝鮮人軍夫や教員ら177人の計1200人がまつられている。

 ペンションを営む宮平一明さん(40)は毎年平和之塔へ足を運んでいる。親戚に「集団自決」の犠牲者はいないが、地元の高齢者からよく話を聞いたという。「座間味は観光地として有名だが、悲惨な歴史についても触れてほしい。沖縄戦を体験していない自分たち世代がきちんと語り継がなければいけない」と強調する。

 母親らと一緒に手を合わせた座間味中1年の田中良旺(らおう)さん(13)は祖母の美江さん(92)から「集団自決」の話を聞いた。美江さんが隠れていた壕では島の教師が手りゅう弾を破裂させようとしたが、不発だった。良旺さんは「もし爆発していたら、自分はこの世にいなかったかもしれない」と話す。ロシアのウクライナ侵攻についても語り、「(戦争は)今すぐやめてほしい。島で起きた戦争を多くの人に知ってもらい、戦争を起こさないような世の中にしたい」と平和之塔を見詰めた。
  (金城実倫)