まるで暗号「オナカ」「セナカ」が選挙戦 カタカナポスターと沖縄<世替わりモノ語り>8


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1969年の那覇市議選で木にくくり付けられた候補者のカタカナポスター。定数30に69人が立候補した=那覇市古波蔵(豊島貞夫さん撮影)

 前県知事の翁長雄志さんが生前、こんなエピソードを披露したことがあった。

 旧真和志市長を務めた父の助静さんは復帰前の立法院議員選挙で、有権者が名前を書きやすいようポスターの表記を「オナカ」と簡略化した。同じ選挙で、後に那覇市長や衆院議員になる人民党の瀬長亀次郎さんは「セナカ」とした。選挙区は違ったが「おなかと背中が隣同士で戦っているという笑い話があった」(翁長さん)。

 復帰前の沖縄の選挙では、現在のように法定のポスター掲示場がなく、電柱や民家の壁など至る所に候補者ポスターが貼られた。明治やそれ以前の生まれもいた当時、特に読み書きが苦手な高齢者に名前を書いてもらうため、ポスター表記は画数の少ないカタカナや漢数字が好まれた。中には候補者を呼ぶ高齢者らの発音そのままに訛(なま)った表記も。

 候補者が多い市町村議員選挙は誰もが“カタカナ戦術”を取り入れ、街中にカタカナや暗号のようなポスターが氾濫した。

 琉球政府文教局で広報担当だった那覇市古波蔵の豊島貞夫さん(89)は、1969年の那覇市議選で近所の木にくくり付けられた候補者ポスターを写真に収めた。「キサバ」(喜舎場)、「サハ」(座覇)、「カカス」(嘉数)―。「まるで木登りしているよう」(豊島さん)に貼られたポスターは、どれもカタカナ表記だ。

 69年市議選は定数30に69人が立候補する混戦となった。米統治下で日本復帰が盛んに議論された激動の時代。豊島さんは「復帰へのいろんな思いがあり、今では考えられないくらいに選挙に熱があり、意識は高かった」と振り返る。(當山幸都)

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