北中城村喜舎場の丘の上に建つホテル・EMウェルネス暮らしの発酵ライフスタイルリゾートは、かつて世界の一流ホテルブランド、ヒルトンが運営していた。1973年2月開業の沖縄ヒルトンは本格的リゾートの先駆けで、復帰後の観光立県の幕開けを予感させた。しかし、80年代に西海岸のリゾート開発の影響を受け、ヒルトンは撤退。一時は「廃虚」と化した。特徴的な半円形の建物は、波瀾(はらん)万丈の道を歩んだ。
沖縄ヒルトンの開業時、日本国内のヒルトンホテルは東京のみだった。外資系企業も復帰後の沖縄に可能性を見いだしていた。エントランスの大きなシャンデリア、開放的なプール、東シナ海と太平洋を同時に見渡せる眺望。78年に20歳で入社した平良勝男さん(65)は、目に映るもの全てが一流の空間に、衝撃を受けた。「華やかだった。県民にとっては敷居が高かった」。客のほとんどは外国人だった。
入社後、ルームサービスからフロントまで数々の職をこなし、一流のサービスを吸収した。「バーテンダーがシェーカーを高く投げるパフォーマンスをして、客を喜ばせていた。みんな誇りを持って仕事をしていた」
80年代に入ると、観光客の注目は西海岸のビーチリゾートに集まり、ヒルトンの客は激減。85年に撤退を余儀なくされた。その後、シェラトンが運営を引き継いだが、流れは変わらなかった。西海岸のホテルが開業するたび人材が引き抜かれ、皮肉にもヒルトンで育った人材が西海岸リゾートの発展の礎となった。
92年、ついにシェラトンも撤退した。運営を引き継ぐはずだった国内企業はバブル崩壊のあおりを受けて開業を断念。シェラトン撤退と同時にホテル運営は宙に浮き、丘の上の建物だけが残った。以後、「廃虚」と呼ばれるようになった。
平良さんは「廃虚」になった後もホテルを警備する会社に再就職した。青春時代を過ごしたホテルへの思い入れは強く、会社には「またオープンするなら声を掛けてください」と頼んだ。
10年以上の「廃虚」期間を経て、2005年にEMウェルネスセンター&ホテル コスタビスタ沖縄が開業した。念願かない、再びホテルに戻った平良さんは定年まで勤め上げた。
ホテルは21年、健康を前面に打ち出してEMウェルネス暮らしの発酵ライフスタイルリゾートに名称を変更。かつて敷居が高かったホテルはニーズの多様化を反映して、親しみやすい個性派ホテルに生まれ変わった。
平良さんは定年後もシニアアドバイザーとしてホテル運営を後方支援する。「どの時代でも大切なのは、客も従業員も大切にすること。どちらか一方だけではだめです」。一流を知るホテルマンは、静かな口調で波瀾万丈の歴史を振り返った。
(稲福政俊)