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「沖縄のガンジー」阿波根昌鴻さん支え、非暴力の土地闘争を今に 「わびあいの里」理事長・謝花悦子さん(1)<復帰半世紀 私と沖縄>


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伊江島の土地闘争などについて語る謝花悦子さん=1日、伊江村の「わびあいの里」

 「出て行け」。1966年7月15日、伊江島の桟橋に村民数百人の声が響いた。米軍が「演習用」と島に持ち込んだホーク・ミサイル2基が、村民による抗議の末、船で運び出された瞬間だった。

 28歳だった謝花悦子(83)は「伊江島土地を守る会」を率いる阿波根昌鴻らと港にいた。阿波根は船が見えなくなるまで「ミサイルはいらない。どこにも寄らずアメリカに持って帰りなさい」と呼び掛け続けた。

 東京の中央労働学院で3年間学び、その年に帰島した謝花。東京の学友や教師が、沖縄の実情を「針の先ほども」知らなかったことに衝撃を受けていた。

 古里伊江は沖縄戦で苛烈な戦闘の現場となった。戦後も米軍演習のため土地を接収され被害に苦しんでいる。戦争を起こした日本人と巻き込まれた沖縄人。眼前の光景に、意識のギャップを再認識した。

 (文中敬称略)
 (岩切美穂)


 72年に沖縄が日本に復帰して半世紀。世替わりを沖縄と共に生きた著名人に迫る企画の21回目は、米統治下の伊江島で非暴力の土地闘争を続け「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻さんを長年支え、その思想を今に伝える「わびあいの里」理事長の謝花悦子さん。反戦平和を訴え続ける謝花さんの生涯に迫る。

 

 

 

 

 


▼(その2)3歳で病、戦争が追い打ち「生涯を平和運動にささげる」と決意、今も抱く夢は に続く