沖縄戦の記憶、ウクライナに重ね…高齢夫婦「次は私たちが助けたい」寄付募り19万円支援 読谷


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ウクライナへの募金を集めた喜友名昇さん(左)とよし子さん=4日、読谷村座喜味の島まるみぬ瓦屋

 沖縄県読谷村座喜味の喜友名昇さん(82)とよし子さん(78)夫妻はロシア侵攻を受けるウクライナの住民を支援しようと、3月25~31日に、同村の「島まるみぬ瓦屋」で寄付を募った。1週間で約120人から19万4702円が集まり、日本赤十字社を通してウクライナに送った。沖縄戦を経験した昇さんは「テレビを見るたびに惨状を目の当たりにし、いてもたってもいられなくなった」と語った。
 
 沖縄戦当時、6歳だった昇さんは家族で座喜味城跡近くの壕に避難した。米軍上陸から間もなくして、捕虜になった。都屋の住民収容所で生活したが、十分な食事がとれず、妹が栄養失調で亡くなった。遺体は重機で掘られた幅50メートルほどの穴に埋葬されたが、そこにはやせ細ったり、傷ついたりした多くの遺体が横たわっていた。

 昇さんは報道でウクライナの現状を見ると、沖縄戦の記憶がよみがえるという。「子どもや女性、罪のない人が傷つけられている。人生の最後の仕事と思って募金活動を始めた」と力を込める。よし子さんは当時1歳だったため、記憶はないが、中学生だった兄に背負われて今帰仁の山に避難していたという。「多くの人に支えられて戦争から生き延びられた。次は私たちが助けたい」と語った。

 夫妻は今後も募金活動を続ける。平日は島まるみぬ瓦屋に無人募金箱を設置する。土日は瓦屋に常駐し、募金を集めながら、自身の経験などを伝え、平和の尊さを発信していくとしている。 (名嘉一心)