闘牛は日常そのもの 王座獲得は最大の喜び 安慶名誠一さん<闘牛語やびら 復帰50年記念大会・全島大会>1


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安慶名誠一さん(右)が初めて飼った登野城カキヤー=1970年代(提供)

「牛主50年、86歳今も現役 愛牛に誇り注ぎ」から続く

 会話は闘牛、娯楽も闘牛、どこの家のそばにも闘牛。外に出れば、散歩をしている闘牛。「匂いまで闘牛であふれていたよ」。牛カラヤー(牛飼い)でいっぱいのうるま市石川の伊波地域で生まれ育った安慶名誠一さん(86)にとって、小さな頃から闘牛が日常そのものだった。

 ■連勝牛手放す

 地域の牛カラヤーに囲まれる中で「いつかは自分の牛を」との思いは強かった。日本へ施政権が返還された1972年を少し過ぎた頃。30代で初めて飼った牛は「あれ以上に強くていい牛はいないと今でも思えるぐらい一番好き」な登野城カキヤーだった。友人から90万円で譲ってもらった。「うれしさもあり、とにかく丁寧に世話した」と振り返る。家の中は大会で獲得したトロフィーであふれかえった。連勝を重ねると、周囲から「売ってくれないか」の声が多く掛かった。固辞していたが、あまりの熱量に押され、同じ姓の人に譲った。

 ■定年退職機に

 その後、生活を支えるために闘牛からしばらく離れ、定年を機に再び「牛であふれる」生活に戻った。「離れていた時期でも、ずっと闘牛を育てたいという思いは途切れることがなかったね」と振り返る。その後、飼い始めた牛は自身の名前から「誠」の一文字を取って名付けることも多い。「誠一撃」や「誠大力」など全島クラスも輩出した。

 2008年には、徳之島で試合観戦していた際に「負けてしまったけど、粘りのある強い牛だと感じた」という「ジブラ」を購入。娘の美柚希さんの名前を加え、「μ(ミュー)ジブラ」として、沖縄デビューさせた。09年には念願の全島軽量級王者に輝いた。「長い闘牛人生でこんなにうれしいことがあるのかというぐらいの喜びだった」。伊波組合では約20年ぶりの王座で、祝賀パレードが行われるほど沸いた。

 闘牛がやってきたら、道を譲るほど牛が愛されている伊波地区。家族のみならず、小屋には手伝いを買って出る若者たちも通う。「そうやって地域で闘牛が続いていくのもまたうれしいよね」。部屋に飾られている歴代の愛牛たちの写真をうれしそうに眺めながら、揺らぐことのない愛を語る。
 (新垣若菜)