元沖縄担当相 尾身幸次氏が死去 OIST設立に尽力


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尾身幸次氏

 元財務相、元自民党衆院議員の尾身幸次氏(おみ・こうじ)が14日午後、肺炎のため東京都内の病院で死去した。89歳。群馬県出身。葬儀は5月20日午前11時から前橋市日吉町1の10の1、ベイシア文化ホールで。喪主は長女で自民党衆院議員の朝子(あさこ)さん。

 旧通商産業省出身。1983年の衆院選で初当選し、8期務めた。97年、橋本内閣の経済企画庁長官として初入閣。小泉内閣で沖縄北方兼科学技術担当相に就任した。2006年の自民党総裁選で安倍晋三氏当選に尽力し、第1次安倍内閣の財務相に起用された。09年の衆院選で落選し、政界を引退した。

 沖縄担当相時代(01~02年)には沖縄に「世界最高水準の大学院大学の設置」を提唱し、11年の沖縄科学技術大学院大学(恩納村、OIST)の設立につながった。ピーター・グルース学長は「OISTが世界有数の学術機関と肩を並べるまでに成長したのは、尾身氏のビジョンとリーダーシップのたまものだ。尾身氏の逝去は家族や友人、OISTにとって、また日本にとっても損失だ」とコメントを発表した。

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