1963年3月5日。那覇市内で開かれた米国留学経験者らでつくる親睦団体「金門クラブ」の例会に、沖縄統治最高責任者のキャラウェイ高等弁務官が招かれ、大きな波紋を呼ぶ「自治は神話」演説が行われた。
「自治は神話」「自治への欲求は自らの『無能力と無責任』を隠すため」。講和条約第3条下で琉球政府を「下級の行政機関」と呼び、自治は「不可能だ」と断じた。
琉球政府立法院は62年、国連の植民地解放宣言を引用し、施政権即時返還を求める決議を全会一致で可決。自由も人権も米軍の許す範囲という制約の中、自治権拡大要求の機運は高まっていた。しかし、最高権力者の一言は強烈だった。
一方、「神話」発言には次のくだりもあった。「あなたたち琉球人がもう一度独立した国民国家になりたいという自由意志を決めない限り、将来も自治はないだろう」。この言葉も報道されたが、大きな「神話」批判の中に埋もれていった。
県職員として戦後処理を巡って日本政府と対峙(たいじ)してきた宮里整(せい)さん(89)はそのくだりを後で知り、当時、日本復帰ばかりが優先され、独立を視野に入れた議論がなかったことに初めて違和感を抱いた。自身は琉球政府職員だったが、戦前は皇民化教育を受け、独立国だった歴史を知らずにきた。この発言は「『(米側に)あなた方がいなくなれば独立だ』と切り返すチャンスだったはず。それができなかったのは沖縄側の知恵の貧しさだ」と振り返る。
復帰後、権威を振りかざす官僚とぎりぎりの交渉をしてきた。独立は困難でも、沖縄の自治を追求しようと働いた。しかし復帰した日本で、沖縄の自治は達成されなかった。国の指示には必ず従わなければならないという県内部の卑屈な意見も見聞きした。
復帰から50年、沖縄の困難は続くが、求めた自治はまだ遠い。「復帰すれば国が全て解決してくれると見誤った。中央に任せるというのでは自治は成立しない」と内省を深めている。
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15日、沖縄は日本復帰50年を迎える。県民が希求した沖縄の姿は実現せず、基地問題など苦難が続く。復帰前と現状を重ね、関係者の証言などを通し、県民にとって復帰とは何だったのかを問う。