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沖縄初のプラネタリウムが公民館にある理由 時を超え、善意で実現<世替わりモノ語り>番外編


この記事を書いた人 Avatar photo 當山 幸都
満点の星座が広がるプラネタリウム=那覇市の牧志駅前ほしぞら公民館(喜瀬守昭撮影)

 屋内にいながらにして満天の星空が楽しめるプラネタリウム。沖縄では日本復帰前の1960年、那覇市にあった子供博物館に愛知県の天文台から投影機が贈られ、半世紀以上にわたり多くの子どもたちを魅了してきた。那覇市内では子供博物館、沖縄少年会館(久茂地公民館)、現在の牧志駅前ほしぞら公民館へとプラネタリウムの空間が受け継がれてきた。

 子供博物館は54年、現在の那覇市牧志の緑ヶ丘公園付近に開館した。ペルー沖縄県人会の寄付が充てられたことから「ペルー館」とも呼ばれた。

那覇市の緑ヶ丘公園にあった子供博物館。1954年に開館し、60年にプラネタリウムが導入された(安村秀夫さん提供)

 プラネタリウムは60年、愛知県の豊橋向山天文台の金子功天文台長の善意で贈られた。子供博物館館長で沖縄PTA連合会長の徳元八一さん、事務局長の安村良旦さんの全国各地を回る活動が実を結び、沖縄初のプラネタリウム導入が実現した。金子さんは当時「これを機に本土と沖縄の交流が盛んになればうれしい」(60年11月29日付琉球新報)と語っている。

安村良旦さん(左)が愛知県の豊橋向山天文台を訪れた際に撮影された1枚。後方が後にプラネタリウム投影機を寄贈する金子功さん(安村秀夫さん提供)

 安村さんの息子の秀夫さん=那覇市首里当蔵町=(71)は子ども時代、父に手を引かれて子供博物館で多くの日々を過ごした。秀夫さんはプラネタリウムについて「ドボルザークの音楽が流れ、次第に暗くなると、不思議な世界が広がっていった」と振り返る。

 66年、久茂地川沿いに沖縄少年会館ができたことに伴い、子供博物館は閉鎖。少年会館にプラネタリウムや天体望遠鏡が新たに設置された。投影機は「M―1型」と呼ばれた国産機で、少年会館が久茂地公民館に衣替えし、同公民館が閉館してその機能が牧志駅前ほしぞら公民館に移る2011年まで約45年使用された。

天体望遠鏡を収めるドームが設置された沖縄少年会館=1966年2月25日、那覇市美栄橋町
天の川の説明を聞く真嘉比幼稚園の園児たち=1967年7月4日、那覇市の沖縄少年会館

 現在、牧志駅前ほしぞら公民館では、星のソムリエ(星空案内人)などの資格を持つ操作技師の福里美奈子さん(59)がプラネタリウムの投影機を動かしている。星が大好きになったきっかけは、幼稚園児のときに沖縄少年会館で見て感動したプラネタリウムだった。

プラネタリウム操作技師の福里美奈子さん=4月10日、那覇市の牧志駅前ほしぞら公民館(喜瀬守昭撮影)

 直径12メートル、高さ8メートルのドーム型天井に約9千個の星を映し出すのは、投影機「クロノスII」だ。時空をひとっ飛びして、那覇にいながらいろいろな時代のいろいろな場所から見た空を楽しめる。21年6月にはレーザープロジェクターも導入され、CGを使い明るくくっきりした映像も投影できるようになった。

 あまたある星や星座には、沖縄ならではの呼び名がある。おうし座は「うまぬちらー」(馬の顔)、ほうき星(すい星)は「いりがんぶし」(かんぷー、入髪)、流れ星は「やーうちー」(引っ越し)―などだ。福里さんは「同じ沖縄でも地域によって呼び名が違うこともある。インターネットや本で得た情報だけでなくて、聞き取りで確認できた情報も大切にして解説したい」と心掛けている。

(當山幸都)