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平和への願い託した「憲法手帳」 復帰に合わせ発行、沖縄を刻む<世替わりモノ語り>13


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沖縄の日本復帰に合わせて発行された「憲法手帳」(右端)と、その後改訂し発行されている新書版の「わたしの憲法手帳」=13日、那覇市の沖縄合同法律事務所

 薄い水色の表紙に、銀色の文字のシンプルなデザイン。1972年5月15日、沖縄の日本復帰に合わせて発行された「憲法手帳」だ。約130ページで、大人の手のひらサイズの手帳には、平和憲法への強い思いがにじむ。那覇市職員として手帳の普及に関わった安里成秀さん(81)=浦添市=は「発行当初は自慢したくて、ポケットに入れて持ち歩いてましたよ」と、少し照れくさそうに笑った。

 復帰を目前に控えた72年2月、当時那覇市長だった平良良松(りょうしょう)さんが憲法手帳を発案。「憲法を県民一人一人のものにしていこう」と、6市町村で構成する「那覇隣接市町村行政協議会」で、発行を提案するなどした。

 同年4月には、元琉球大学長の安里源秀さんを会長に、県憲法普及協議会が結成された。普及協が手がけた手帳には、憲法条文、教育基本法やポツダム宣言、日米安保条約などが盛り込まれた。

 手帳に寄せられた平良元市長のあいさつには、日本本土で憲法が形骸化しているとの懸念を示した上で「私は、那覇市民とともに、憲法を守り、実践するための、新たな『復帰運動』をこの憲法手帳をかざして開始する」と記されている。安里さんは「平良市長は、憲法をただ普及しようというのではなく、復帰後は平和憲法に基づいて歩むべきとの思いがあった」と指摘する。

50年大切に使っている憲法手帳を手にする安里成秀さん=2日、那覇市泉崎の琉球新報社

 平和への思いが託された初版の憲法手帳は、120円で販売された。発行に賛同していた那覇隣接市町村行政協議会も、普及に協力した。行政協議会の事務局を担っていた那覇市企画課では、希望する自治体に必要部数を配布するなどした。

 ただ、初版の手帳がどれだけの県民の元に届いたかははっきりしない。憲法普及協事務局の山吉まゆみさんによると、74年1月に石垣市から送られてきた封書に、「9千部各戸配布」とのメモ書きが残っている。改訂版のあとがきなどで初版の発行部数を1万部と表記しているが「正確には分からない」のが現状だ。

 手帳はその後も引き継がれ「わたしの憲法手帳」として第5版追補版が2017年5月に発行されている。2004年の沖国大米軍ヘリ墜落事故や、名護市辺野古の新基地建設問題など、沖縄の事例から解説する。編集に携わってきた山吉さんは「取り上げるべき問題が次から次と起きている。沖縄は憲法が適用されたと言い切れるのか。ずっと疑問だ」と明かす。

 「平和憲法の下に帰る」と願い、展開された復帰運動。デモ行進に加わるなど、積極的に運動に参加してきた安里さんは、ロシアのウクライナ侵攻以降、改憲議論を求める声が上がる現状に危機感を抱く。「今こそ原点を見つめ直さないといけない。憲法手帳をかざして、次の50年に進んでほしい」と願った。

(前森智香子)