戦後の土地関係資料9000枚をデジタル化 米軍の立ち退き指令後の宅地分配記録も 読谷・楚辺自治会


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資料をデジタル化した楚辺自治会前会長の比嘉進さん(左)と図書係の宮城政信さん=4月7日、読谷村の楚辺公民館

 【読谷】読谷村の楚辺自治会はこのほど、戦後すぐから80年代までに作成された手書きの行政資料9千枚余りをデジタル化した。2004年に楚辺公民館の移設に伴う物品整理で見つけられ、復帰50年の節目に一部をデジタル化した。今後も整理を進める予定で、研究資料などでの活用が期待される。

 デジタル化した資料の中でも特に注目されるのは、戦後の荒廃した土地の所有者を再確定させるために1948年に作成された「土地一筆限調書」。トリイ通信施設建設のために51年に米軍から立ち退き指令が下された後、現在の楚辺区を形成するために宅地の分配を記録する目的で52年に作成された「宅地分配記録綴」などだ。

トリイ通信施設建設のために1951年に米軍から立ち退き指令が下され、宅地の分配を記録する目的で52年に作成された「宅地分配記録綴」(楚辺自治会提供)。

 読谷村教育委員会文化振興課村史編集室の中田耕平さん(42)によると、今回の資料は96年6月に発行された楚辺誌民俗編の参考資料に使われたとして「実物は今まで見たことがなかった。原資料が見つかったことに意味がある」と述べた。さらに「通常は県や村がまとめる資料を当時は字(自治会)が作成していた。戦後の混乱の中、高度な行政機能を有していたことが分かる」とし、「住民が米軍という圧倒的権力とどう向き合ったかが分かる貴重な資料だ」と説明した。

 資料はこのほか、自治会の情報を共有するために各家庭に導入されたラジオの帳簿や、宅地分配の際に地主から借り上げた土地の借地受払簿などがあった。楚辺自治会前会長の比嘉進さん(60)は「焼け野原となった楚辺が復興していく様子が分かる。できる範囲で住民に公開したい」と話した。
 (名嘉一心)