【恩納】恩納村立山田小学校の6年生22人と引率教員2人が18日、「平和学習」で、沖縄戦中に住民らが避難した同村山田のカーブヤーガマを訪れた。当時6歳で同ガマに避難した糸数吉雄さん(83)が講師を務め、戦時中の生活などについて語った。児童らは身近な地域にある戦跡で戦争の悲惨さ、平和の大切さを学んだ。
平和学習の参加者は、舗装された道路から足場の悪い草木の生い茂る山道に入った。先導の比嘉茂山田区長、講師の糸数さんに続き、同行した山内久江校長と児童たちは約10分かけてガマに到着した。
糸数さんによると、山田には多くのガマがあったが大きいカーブヤーガマには約200人が避難し、島尻方面や本部、読谷地区からも避難者がいた。避難民は女性と子ども、老人たちだけで、若い女性は奥の方に隠すようにしていた。
住民は昼はガマに隠れ、夜になると家に食べ物を取りに行った。糸数さんは当時6歳で、怖さとひもじさの記憶が強いという。暗いガマの中で立って話を聞いた児童らは「何を食べていたのか?」「飲み物はどうしたか?」と質問した。糸数さんは「主に芋だった。ガマに水があり困ることはなかった」と答えた。
児童からは「病気になる人はいなかったのか?」との質問も出た。糸数さんは「生きるか死ぬかの状況で、病気などかまう余裕もなかった。戦争は恐ろしいよ。絶対に戦争をしていけないよ」と強調した。
参加した児童たちは「話を聞き、戦争は絶対にしてはいけないことがよく分かった」と話し、みんなで黙想をした。
山内校長は「ガマは地域の方々の命を守ってくれ、今のあなたたちの存在につながっている。地域を知り、今度は自分たちが地域のバトンを引き継いでいくのです」と語りかけた。
最後に糸数さんは「ロシアの侵攻でウクライナの多くの子どもたちが亡くなっている。これからはあなたたちが世界をつくっていく。戦争してはいけない」と念を押すように話した。
(小山猛三郎通信員)