「歩んでいた人生感じて」対馬丸犠牲者の誕生日掲示 記念館「生まれてくれてありがとう」添え


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対馬丸撃沈で犠牲となった6月生まれの人の誕生日を示したパネルを前に、思いを語る堀切香鈴学芸員=1日午前、那覇市若狭の対馬丸記念館

 対馬丸記念館(那覇市)は1日から、1944年に米潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没した対馬丸事件の犠牲者の誕生日を、名前と共に掲示する取り組みを始めた。犠牲者の命日は船が撃沈された8月22日で同じだが、生まれた日は一人一人異なることに着目した。誕生日の明示により担当者は「犠牲者も生まれた時は祝ってもらった、各自の人生を歩んでいたことを感じてほしい」と語る。

 1日から展示されているのは、対馬丸が撃沈され犠牲となった合計1484人(氏名判別者数)のうち、6月に誕生日を迎える人たち。「生まれてくれてありがとう」との言葉と共に、同館の1階にパネルを立てた。

 年長者は1873年6月18日生まれの平良マイヌさん、年少者は1942年6月13日生まれの池原清さんら、97人が並んだ。パネルは月ごとに入れ替え、その月に誕生した人を紹介する。高齢者が年齢をイメージしやすいように、干支(えと)も書き込んだ。

 同館はこれまでも犠牲者の名前を刻字したり、遺影を展示したりと、来館者が故人に思いをはせる工夫を重ねてきた。

 同館の堀切香鈴学芸員は「来館者にとって親などの身近な人と同じ誕生日だと反応もしやすい。(犠牲者と)自分との結びつきをより身近に感じられるのではないか」と取り組みの狙いを語る。

 誕生日は犠牲者名簿を元に整理した。生年月日が分かっていない人もいるといい、実際の人数はより多い可能性もある。

 パネルに並ぶ多くは、今の小中学生に当たる子どもたちだ。堀切さんは「今も元気に生きていておかしくない人たちだ。それぞれに夢や希望があった。誕生日を示すことで対馬丸事件について視野を広げて考えるきっかけになってほしい」と期待を込めた。(知念征尚)


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