与那原町が町民対象に平和学習 沖縄戦研究者を講師に戦跡巡り


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 【与那原】与那原町は5月15日、町民を対象とした平和学習「復帰50年、与那原の戦跡を巡る 与那原の沖縄戦と米軍占領・日本復帰」を開催した。5月15日の日本復帰と21日の「与那原町民平和の日」に関連したもので、雨が降りしきる中、町民11人が参加した。沖縄戦研究者で沖縄平和ネットワークの津多則光さん(79)が講師を務め、町内の戦跡などを案内した。

参加者に沖縄戦の説明をする津多則光さん(右端) =5月15日、与那原町与那原与原区の与魂之塔

 津多さんは、現在の与那原小学校に「中城湾要塞浜田兵舎」があったことを説明し「与那原住民にとって軍隊は身近な存在だった」と述べた。

 与那原大綱曳を開催する御殿山青少年広場は与那原国民学校があった場所で、津多さんは学校の朝礼で児童らが皇居の方角に向かって深々と頭を下げる「宮城(きゅうじょう)遙拝」を説明した。「宮城遙拝の後は回れ右をして、現在の与那原中央病院辺りにあった、与那原出身の平敷軍曹の墓に向かって深々とお辞儀をした。皇民化教育が徹底され、子どもたちを戦争に利用した」と強調した。

 与原区にある与原公園では運玉森を見ながら、米軍と日本軍の激しい戦闘があったこと、砲煙弾雨の中、約2万人の住民が運玉森にある壕に避難していたことを説明した後、近くにある「与魂之塔」に移動し、かつて与原区民が収集した遺骨を納めた納骨堂があったことなどを話した。塔のそばにある礎には戦没者の名が刻まれ、名前が定かでない者には「〇〇」と刻まれているほか、「他戦没者」という言葉もあった。津多さんは「運玉森や与原付近で亡くなられた全ての犠牲者を指している」と説明した。このほか、板良敷に現存する日本海軍の「射堡隊指揮所跡」や戦後、町民らが集まった「大見武収容所跡」などを巡った。

 参加した町ジュニアリーダーの伊禮帆乃花さん(16)=小禄高2年=は「以前も参加したが、今年はウクライナ侵攻があって戦争を身近に感じてしまった。沖縄戦の悲惨さを知ることで、改めて戦争は絶対にしてはいけないことを知り、2歳の妹が大きくなった時、きちんと伝えられるようにしたい」と決意を込めた。
 (金城実倫)