「忘れないで、父の日」。県内小売業最大手のサンエーは、印象的なコピーで父の日商戦を展開している。3年ぶりに営業時間などの制限のない父の日を盛り上げようと、紳士服担当者がコピーを考案した。
母の日に比べ、いまひとつ印象が薄い父の日。サンエーの担当者は「正確な数字を出すのは難しい」とした上で「母の日に比べ盛り上がりに欠けるのは確か」と答えた。
デパートリウボウ、イオン琉球も同様に母の日の方が売り上げは多い。デパートリウボウの担当者は「『何をあげたらいいのか分からない』という声が多い。母の日に対し、父の日は商品の種類が少ない影響もあるのではないか」とみる。
それでも、全国に比べると県内では存在感は大きい。日本生命が今年実施したインターネットアンケートでは、父の日にプレゼントを贈ると回答したのは全国が64%だったのに対し、沖縄は89・2%に上り全国一多かった。「贈り物文化」と言われる県内の状況を反映した結果と言えそうだ。
そもそも父の日商戦はいつ頃から始まったのだろうか。父親に感謝する日は世界各地にあるが、日本の父の日はアメリカに由来する。日本ファーザーズ・デイ委員会によると、アメリカで父子世帯で育った女性が「母の日があるなら父の日も」と1909年に制定を教会に嘆願し、翌年から祝典を行うように。16年にウィルソン大統領が祝典で演説し、広く知られるようになった。
日本に入ってきたのは1950年代。琉球新報の紙面で「父の日」という言葉が最初に出てくるのは51年の読者投稿のコーナー。59年になると百貨店・大越が「今日は『父の日』」という広告を掲出する。62年にオリオンビール、63年に山形屋、64年にリウボウが広告を出し、県内ではこの頃から父の日商戦が始まったことがうかがえる。
64年には父の日に合わせ「父をはげますパーティー」がコザ市(現沖縄市)で開かれたことが報じられ、65年には父の日座談会が開かれた。商戦と同時期に一般的になっていったことが分かる。
今年も県内の売れ筋はかりゆしウエア。デパートリウボウの紳士服担当者は「娘さんが『いつもと違うかりゆしを』と選んでいくことが多い。少し派手でもお子さんからもらうのはうれしいと思う」と話した。
(玉城江梨子)