徴兵忌避狙い 父が栄養失調に 森根昇さん(1) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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森根 昇さん

 うるま市の森根昇さん(81)から沖縄戦の話を聞きました。屋慶名に近い籔地(やぶち)島のガマに隠れた森根さんの家族は1945年4月上旬、米軍に捕らわれます。

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 森根さんは41年4月、与那城村(現うるま市与那城)屋慶名で生まれました。幼かった森根さんは断片的に沖縄戦を記憶しています。戦後、家族から戦時中のことを聞かされました。その一つが徴兵を逃れた父、廣生(こうせい)さんのことです。

 「父は当時、20代後半で、日本軍に召集される年齢でした。ところが家を継ぐ長男ということで祖父ら家族が徴兵に反対し、軍隊には行きませんでした。徴兵を忌避したのです」

 沖縄の徴兵忌避は1900年代初頭の本部町の事例が知られています。わざと指を切り落とし、兵役を逃れたのです。海外移住も徴兵忌避と見なされることがありました。

 「父は栄養のないンムカシばかりを食べ、やせ細った体になりました。そのため徴兵検査で不合格になったようです」

 ンムカシとはサツマイモからでんぷんを取った後の残りかすのことです。廣生さんは意図的に栄養失調の状態になることで徴兵を逃れたのです。

 森根家の次男は軍隊に取られ、台湾で命を落としました。沖縄戦を生き延びた廣生さんも30代の若さで亡くなりました。「栄養失調が影響したのではないか」と昇さんは話します。

 2019年10月から20年10月、21年6月から11月まで掲載した連載「読者と刻む沖縄戦」を再開します。