1945年4月1日、沖縄本島中部西海岸に米軍が上陸します。時間稼ぎの「戦略持久戦」を基本方針とした日本軍は抵抗しませんでした。米軍は4月3日には与勝半島に進攻します。森根昇さん(81)=うるま市=の家族が避難していた薮地(やぶち)島にも米軍が攻め込みます。
島の端にあるジャネーガマやその周辺にあるガマに避難していた与那城村(現うるま市与那城)屋慶名の住民は「米軍が来たよー。上陸したよー」という声で大騒ぎになりました。自警団の若者は米軍に抵抗しようとしました。屋慶名には当時、誰かが海外から持ち込んだ銃が数丁あったといいます。
「若者は銃で戦おうとしましたが、ガマにいたお年寄りたちは『米軍は何もしないよ。降参すれば大丈夫だ』と言って若者たちをなだめたといいます。その後、住民は米軍に投降しました」
米軍に捕らわれた森根さんの家族は屋慶名に戻ります。家は米軍に焼かれてしまいましたが、お年寄りの機転で惨事は避けられたのです。森根さんは語ります。
「屋慶名には当時、旧制中学校や師範学校、高等女学校で軍国主義教育を学んだ者はいませんでした。『米軍に捕まったら男は股裂きにされる』などという話も、早い頃から信じていなかったようです」