「父さん、また来たよ」礎に語りかけ、東京遺族会の富田さん 戦地の父から届いた32枚のはがき、涙でいまだ読み切れず


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 「父さん、また来たよ」―。東京都遺族連合会副会長で八王子市遺族会会長も務める富田喜代志さん(80)は23日、糸満市摩文仁の平和の礎に刻まれた父・美喜雄さんの名前を前に、涙をにじませながら語り掛けた。

父・美喜雄さんが所属した部隊の認識票を手に、刻銘を見詰め涙をにじませる富田喜代志さん=23日、糸満市摩文仁の平和の礎

 1986年に沖縄を初めて訪れて以降、慰霊の旅は十数回を数えるが、ことしは父が所属した部隊員の認識票を手に訪れた。沖縄戦戦没者の遺骨収集を続けてきた国吉勇さんが見つけ、沖縄蟻の会の南埜(みなみの)安男さんを介して、2021年に喜代志さんの元に届けられた。父の物かは定かではない。だが「『喜代志、いま帰ったよ』と声を掛けられたようだった」という。

 美喜雄さんは沖縄から東京に残した家族に32枚のはがきを送った。当時3歳の喜代志さん、同じく1歳の弟・賢司さん(20年に77歳で死去)宛てにつづられた文字はきちょうめんで、漢字にはルビが振られている。父の愛がこもったはがきだが、喜代志さんは戦後77年たった今も32枚全てを読めていない。「1枚1枚に込められた父の思いが…。今でも涙が止まらないんだ」

 遺族会活動を40年以上続けてきた喜代志さんだが、子2人、孫2人に父のことを話したことはなく、沖縄を共に訪れたこともまだない。この日、南埜さんの案内で父の部隊の足跡を訪ね歩いた。

 「戦争は絶対だめだ」と語気を強めた喜代志さんは、「近いうちに子、孫を沖縄に連れてきたい。父のことを伝えたい」とこらえきれない涙をぬぐった。

(安里周悟)