危険冒し、訪ねてきた母 森松長孝さん(4)山の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 1945年4月1日、米軍が沖縄本島中部西海岸に上陸します。13日以降、八重岳周辺で米軍と日本軍の戦闘が始まります。真部山にいた森松長孝さん(88)=沖縄市=は戦闘が迫っていることを山中で知りました。

 「ポンポンという爆発音が次第に近寄ってくるんです。兵隊の後に付いていこうという人、竹やりを持って敵と戦おうという人もいました。むちゃですよね」

 米軍の砲撃は夕方にはやみました。その間、山中に潜んでいた住民は畑にあったイモを炊きました。

 「アメリカの戦争は公務員のようでした。攻撃が終わった後、食事の支度をしました。これはありがたかったですね」と森松さんは語ります。

 激しい戦闘の最中、数キロ離れた伊豆味にいた母ウトさんが危険を冒して森松さんを訪ねてきたといいます。「最後の面談のつもりだったのでしょう」と森松さんは語ります。

 「母は伊豆味から真部山に会いに来てくれました。砲弾がポンポン飛んでいる最中にですよ。何を話したか覚えていませんが、私に食べさせるつもりだったんでしょう。卵を2、3個持ってきてくれました」

 子を思う母の気持ちを忘れることができません。「やっぱり母は強いですね。私のアンマーは世界一です」。こう語り、森松さんは涙をぬぐいます。