開戦時に紅白まんじゅう 嵩原安正さん(2)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 サイパンで生まれ育った嵩原安正さん(87)=那覇市=は5歳の頃、パラオのペリリュー島に渡り、家族の新たな生活が始まります。弟も生まれました。

 父の安市さんは日本軍の軍属となり、飛行場設営に必要な資材確保の仕事に携わります。その後はダイナマイト倉庫の管理者となり、島人の部下を持つようになりました。

 1941年、安正さんはペリリューの国民学校に入学し、日本語教育を受けました。小さな学校だったといいます。

 「児童の中には本土の子もいましたが、半分以上が沖縄の子でした。韓国人の子もいました。先生は2人でヤマトゥンチューの夫婦。夫が校長で高学年を教え、妻が低学年の児童を教えていました。家庭的な学校でした」

 国民学校では学芸会で桃太郎を演じたことがいい思い出となっています。地元の子どもたちは「公学校」と呼ばれる学校に通いました。国民学校の児童との交流はなかったといいます。

 41年12月、日本軍の真珠湾攻撃とマレー半島進攻で太平洋戦争が始まります。

 「その時に大きな祝賀行事があり、紅白のまんじゅうをもらいました。島中がお祭り騒ぎで、楽しいなと思いました」と安正さんは振り返ります。