軍、小学生を伝令役に 嵩原安正さん(4)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 嵩原安正さん(87)=那覇市=が通っていたパラオ本島(バベルダオブ島)アイライ村の瑞穂国民学校は1944年2月頃、日本軍の兵舎となります。「その頃、先生たちも召集されるようになりました」と嵩原さんは語ります。

 嵩原さんら小学生も戦争と無縁ではありませんでした。軍を支える「少年隊」として集められます。隊長は瑞穂国民学校の校長でした。「杉山という校長先生から『今日から君たちは少年隊員だ』と言われました」

 任務は兵士の食料確保です。山に行って、食料となるカタツムリを集めました。

 「少年隊」の隊員の中から選ばれ、伝令役も務めました。軍から軍へ命令や指示、情報を伝える役目です。「飛行機には気を付けろよ」と兵士に言われ、伝令役の嵩原さんは部隊を出発します。米軍機のパイロットの目をごまかすため、網をかけ、草を巻き付けた帽子をかぶりました。

 「メモは許されませんでした。命令や指示を暗記し、復唱しながら小走りで目的地に向かうのです。伝令を忘れてしまい泣いて引き返す子もいました」

 嵩原さんは小学4年生でした。「まだ9歳ですよ。軍の任務をさせるなんて考えられない」と嵩原さんは語ります。