三男も飢えの犠牲に 嵩原安正さん(7)島の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 1945年8月15日、日本は敗戦の日を迎えます。パラオ本島(バベルダオブ島)にいた嵩原安正さん(87)=那覇市=はその時のことを覚えています。

 「夜、米軍の飛行機がライトを照らして飛んでいました。翌日、戦争が終わったことを聞きました」

 敗戦から5日後、生後5カ月の四男、安佐美(あさみ)さんを栄養失調で失います。

 父の安市さんが軍から戻ってきたのは敗戦から2、3週間後のことです。その後、安市さんは働きに出ます。上司となったのはペリリュー島のダイナマイト倉庫で部下として働いていた島人でした。「敗戦で立場が逆転してしまいました」

 嵩原さん一家の不幸が続きます。45年11月、4歳の三男、安光さんが命を失います。毒抜きのため水に漬けていたタピオカの原料となる芋キャッサバを食べたことが原因でした。

 「弟はおなかがすいていたのでしょう。母が水に漬けていたキャッサバを弟は食べてしまったのです。危ないので高い場所に置いていたのに、弟は台を使って毒が残っていたキャッサバを取って食べたのです」

 安光さんの死も食料不足が生んだ悲劇でした。安市さんは山の中で火葬しました。

 翌年、嵩原さん一家は2人の遺骨を携え、沖縄に引き揚げます。