おじの沖縄戦をめいがたどる旅 亡くなったおじと自身の子どもの年齢重なり思いはせ 遺品が見つかった首里久場川近くの慰霊碑で手を合わす


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 沖縄戦で亡くなり、那覇市の首里久場川壕群で遺品が見つかった高田久衛(きゅうえ)さん=石川県出身、享年24=のめいに当たる高田佐紀子さん(65)=同県=が7月30日来県した。那覇市首里久場川町にある日本軍の2中隊と地元住民合同の慰霊碑を訪れた高田さんは「久衛さんが生きていた証しが見つかりました」と胸の内で報告し、手を合わせた。

慰霊碑に手を合わせる高田佐紀子さん=7月30日、首里久場川町

 久場川市営住宅の建設工事中だった2009年、建設予定地から壕が発見された。那覇市が発掘調査を行ったところ、軍靴やベルトなど多数の出土品が発掘された。その中に「櫻三一〇九 高田久衛」と記された認識票が見つかった。久衛さんは32軍直属の野戦重砲兵23連隊(通称・球3109隊)の2中隊に所属していた。

 子どもの頃から久衛さんが沖縄戦で亡くなったことを聞かされていたという高田さん。今年5月に関係者から認識票の連絡があった。自身の子どもが久衛さんが亡くなった年齢になり「子どもたちと久衛さんが重なって見えた。どういう思いで亡くなったのだろうか」とも考えるようになり、来県を決めた。

国頭秀子さん(左)から沖縄戦の話を聞く高田佐紀子さん=7月30日、首里久場川町の久場川町公民館

 高田さんは久場川町公民館で沖縄戦当時の久場川の様子を知る国頭秀子さん(85)から話を聞いた。国頭さんは沖縄戦の間、現在の名護市の真喜屋や羽地などに避難した。終戦後、久場川に戻ると実家は焼失していた。「実家があった周囲に骸骨がたくさんあって怖かった」と当時の様子を語った。高田さんは「戦争は良くない。戦争を知らない私たちが次の世代に伝えないといけない」と語った。

(狩俣悠喜)