戦争マラリアの犠牲忘れない 「忘勿石之碑」修復完了 慰霊祭で不戦の誓い新たに 竹富・西表島


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修復された忘勿石之碑前で開かれた慰霊祭で、手を合わせる参列者=15日、竹富町西表島南風見田海岸

 【西表島=竹富】戦時中、波照間島から西表島に強制疎開させられ、マラリアにかかって命を落とした住民らを追悼する忘勿石(わすれないし)之碑の修復報告会と、犠牲者の慰霊祭が15日、竹富町西表島の南風見田海岸で開かれた。参列者らは修復された碑に献花し、不戦の誓いを新たにした。

 忘勿石は、波照間島からの疎開者が多数犠牲となったという南風見田海岸にある石で、現地で子どもたちに勉強を教えていた波照間国民学校の識名信升校長(故人)による「忘勿石 ハテルマ シキナ」の10字が刻まれている。碑はこの忘勿石の近くに立てられているが、2019年9月の台風18号の影響で、犠牲者名が刻まれた銘板が壊れるなどの被害が出ていた。碑の修復を目指そうと、20年7月に期成会が発足し、寄付を呼び掛けるなどの取り組みを進めてきた。碑の修復は今月5日に完了した。

 修復された碑の前で開かれた慰霊式では、期成会の内原勲会長が「命のある限り恒久平和を願って、この地から平和の発信を共にしていきたい」とあいさつした。

 戦時中、波照間島から西表島沖の由布島に疎開した経験を持つ、元町教育長の慶田盛安三さん(81)は自身もマラリアに感染したという。慶田盛さんは「当時、自分は4歳だったが、マラリアのことは覚えている。波照間島に戻った人々が倒れ、毛布にくるまれて葬られていた。むごたらしかった。『積極的平和主義』という言葉を聞くようになったが、これからも不戦であってほしい。悲惨な経験を持つバシマ(波照間島)が、平和を生産する工場となってほしい」と願っていた。

 また識名校長の三男、史男さん(75)は「碑は、波照間の人々が戦争をなくすために立ち上がり、造ったものだ。世界平和につながってほしい」と語った。

(西銘研志郎)