難局の克服、移民の気概を今に 渡邉英樹さんが体験を本に「ボリビア開拓期外伝」


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「ボリビア開拓記外伝」を著し、県人移民の軌跡を伝えた渡邉英樹さん

 【東京】沖縄県人の開拓移民が直面する苦難の阿鼻叫喚(あびきょうかん)が行間から立ち上る。ボリビア県人会名誉会員の渡邉英樹さん(80)が、その苦難を共にしつつ見詰めた体験を記す「ボリビア開拓記外伝」(琉球新報社)を著した。70年近く前に未開の地に果敢に立ち向かった県人の記録を通して、現在の萎縮し忖度(そんたく)がはびこる閉塞(へいそく)感を打ち破る生き方を伝える。

 地球のほぼ反対側に位置するボリビアに県人が移住したのは1954年8月。10倍の競争率から選抜された400人の移民は「学校の先生や公務員ら沖縄でもトップクラスの人たちだった」と渡邊さんは語る。

 渡邉さんは旧海外移住事業団ボリビア国サンタクルス支部に勤務し、開拓移民とさまざまな困難に挑む。その行動は県人移民と一蓮托生(いちれんたくしょう)。生業(なりわい)の基盤づくりから金策まで。「やっちゃいけないこともやったからね」。今だからこそ話せる外伝となった。半面で実はリアルな正史でもある。

 県人にとってバラ色の未来のはずが暗転するのは移住直後からだった。大農場主という描いた期待と将来像は水害や干ばつが県人を襲いくじいていく。「あの頃は本当に毎日、何が出てくるか分からない西部劇。ちょっとでも弱気が生じた瞬間に終わる。船板一枚下は地獄と言うけどね」。好転の兆しもなく、沈む一方の県人の運命を克明に記す。

 渡邉さんによれば、県人開拓団は結局「移民の90%がボリビアを去った」と言う。振り返れば棄民政策との評価もつきまとう。それでも農場への作付けを綿花に転換して経営を軌道に乗せるまでの経過の記録は圧巻。方法は違っても難局をどう克服するかの気構えを今に伝える。「惨状の中から困難を切り開いた多くの人がいる。自らの得意を生かして人生を築いた移住者のたくましさを知ってほしい」

 戦後の経済成長を経て移民の受け入れ国に転換した日本。渡邉さんは、異文化をしなやかに受容する社会づくりの大切さを説く。「反対意見を押し込めて画一的になれば社会はゆがみ、過去のように誤る。異文化の感性と能力を生かすことこそが国力の源だ」

(斎藤学)