「生きてさえいてくれればいい。その気持ちだけなんです」。大島友子さん(45)=沖縄県那覇市=は、家の中を歩き回る娘の星七(せいな)ちゃん(1)の姿に目を細めながら、穏やかな口調で語る。
妊娠経過は順調ではなかった。2020年8月に妊娠が分かった直後から出血を繰り返した。検査の結果、異常妊娠の1つ「胞状奇胎」と正常な胎児が共存する「部分胞状奇胎」と判明した。
妊娠21週0日に大量出血。琉球大学病院に搬送され、胞状奇胎を取り出す手術をすることが決まった。だが子宮口を広げるため、赤ちゃんの命も危なくなる。母体保護法の定めで22週未満の赤ちゃんは救命措置ができず、その時点で小さな命が助かる見込みは、ほぼなかった。
胞状奇胎を取り出した後は陣痛促進剤を打って赤ちゃんが出てくるのを待ち、その命を見送る予定だった。だが、3時間たっても一向に出てくる気配がない。それどころか、友子さんは胎動を感じた。「赤ちゃんは生きようとしているのかも」と思わざるを得なかった。
「22週までとどまったら助けてくれるんですよね」。友子さんが医師に聞くと、医師は大丈夫という保障はないとしながらも、21週での出産を防ぐため、できる限りの処置をしてくれた。
待ち望んでいた22週0日を迎えて安堵(あんど)したのもつかの間、その2日後に星七ちゃんは体重420グラム、身長26センチで生まれてきた。力を抜いたらするっと出てくるような小ささ。透き通るようなピンク色の身体で、手足が長くとてもきれいだった。小さく鼓動を打つ姿を見られた喜びに胸がいっぱいになった。「これから何があっても、生きてさえいてくれればいい。受け入れよう」。そう自然に思えた。
だが治療の経過をたどっていくにつれ、心境は変化していく。星七ちゃんはおなかの中で目が作られないまま生まれてきたため、保育器の中で目がある場所に割れ目ができ、数日後、少しずつ目が開いてきた。しばらくたってから、重症になると視力障がいや失明につながる可能性のある「未熟児網膜症」の治療が必要だと分かり、その怖さにショックを受けた。
「産まない方がよかったのかもしれない」と頭をよぎったこともある。でも、目の前には懸命に生きようとしている命がある。自分にできることはやろうと、気持ちを奮い立たせた。
21年5月、生後約4カ月半で体重2430グラムになり退院。酸素吸入が必要で、常に酸素モニターを見ながら育児をした。悩みは尽きなかった。離乳食や予防接種は修正月齢(出産予定日から計算した月齢)に合わせなくてもいいのか。小学校に入る頃には発達は追いつくのか―。
小さく生まれた子ならではの不安を、その都度病院や保健所に相談するのも気が引けた。すがるようにインターネットで経験者の体験談やつながりを求め、どんなふうに大きくなっていくのか、成長の過程を追った。
今でも不安がなくなったわけではない。これから障がいや病気が分かるかもしれない。でも「生きてさえいてくれればいい」と願った日のことを思えば、星七ちゃんと過ごせる毎日こそ大切にしたい。あと約3カ月で2歳になる星七ちゃん。体重は10キロにまで増えた。「いろいろとゆっくりかもしれないけど、この子と一緒に乗り越えていきたいな」。友子さんは星七ちゃんを膝に抱きながら語った。
(嶋岡すみれ)