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同級生と過ごせる今は奇跡 「今度は支える側になって」〈手のひらの命・低出生体重児の今〉


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儀武樹さん(前列中央)と(後列左から)由紀さん、心乃ちゃん、佑さん、咲乃さん、斉さん。咲乃さんは亡くなった子の骨壺を持っている(提供)

 2013年6月中旬。儀武由紀さん(38)=豊見城市=は目の前に横たわる生後4カ月の次男・樹(たつき)さんの人工肛門のケアをしていた。

 5月末に樹さんが退院して以来、3時間おきのケアと授乳で1日が終わった。ほとんど眠れていなかったが「母親だから自分がやるのが当たり前」と思っていた。ちょうど夫の斉さん(38)の仕事が忙しい時期と重なり、世話を一身に担った。

 当時の由紀さんが残したSNSの投稿には、退院後の検診の結果がよくなかったことに触れ「家で自分で見てる分責任あるしへこむ。つらいなあ」とつづられている。

 心身ともに限界が迫っていた。同じ頃、樹さんの定期検診で通っていた病院のトイレで倒れ、意識を失った。「私がいなくなったら誰が樹の世話をするんだろう」。背負っていた重圧を改めて自覚した。

 倒れてから1週間後、樹さんの術後の経過が悪く成長に影響が出ていたため、予定より早く人工肛門を閉鎖する手術が行われた。手術が決まったことを報告したSNSの投稿では、一人でのケアがとても不安だったことや、夜中も処置をしなければいけないことが「すごくきつかった」と吐露した。

 医学的な知識がほとんどないまま自宅でケアをしなければならない責任の重さに加え、万が一腸に感染が起きたときの不安など、体力的にも精神的にも苦しかった思いがあふれ出た。

 樹さんは同年2月、妊娠28週2日、体重618グラムで生まれた。その翌日には樹さんの腸が破れていることが分かり、緊急手術をした。術後は小さな身体に10本以上の管がつき、顔がぱんぱんに腫れていた。その痛々しさが心苦しかった。

保育器の中の儀武樹さんを抱く斉さん(提供)

 「この先この子はどうなるのだろう」という不安は、たびたび襲ってきた。「おしゃべりはできるようになるのかな。ちゃんと歩けるようになるのかな」。恐怖で押しつぶされそうだった。

 斉さんは、不安に揺れる由紀さんを見て「見えない先のことを考えても仕方がない。今頑張って生きようとしている樹の成長を支えよう」と励まし続けた。

 その言葉に由紀さんは少しずつ気持ちを切り替え、保育器の外から絵本を読み聞かせたり、カンガルーケアをしたりと、触れ合いを大切にするようにした。新生児集中治療室(NICU)に入院中の子どもの母親たちとの交流も支えになり、徐々に「樹なりのペースで成長してくれればいい」と思えるようになっていった。

 樹さんは人工肛門のまま退院。約1カ月間の自宅でのケアを終えて人工肛門を閉鎖する手術が行われてからは順調に体重が増えていき、ケアの必要はなくなった。由紀さんは少しずつ育児にゆとりが持てるようになった。

 かつての由紀さんと斉さんの目標は「樹がランドセルを背負えるようになること」。4月生まれの同級生が1歳になって歩き始める頃、体重1キロにもなっていなかった樹さんは、現在小学4年生になった。由紀さんは「今同級生と一緒に過ごせていることが奇跡だと思う」と、これまでの道のりをかみしめながら語る。

 由紀さんは2016年、樹さんの2番目の妹にあたる子を妊娠22週で死産した。生死をさまよった樹さんや、抱くことのできなかった娘は「命の尊さを全力で教えてくれた」。樹さん、長男の佑さん(11)、長女の咲乃(さくの)さん(7)、次女の心乃(ここの)ちゃん(4)は、見ることのなかった子を「家族」として受け入れ、一緒に生きてくれるような、優しい子に育ってくれている。由紀さんは「たくさんの人の支えがあって今がある。支えてくれた人に感謝しながら、今度は樹が支えられる側になってほしい」と願いを込める。

(嶋岡すみれ)