日本軍106人が戦死した壕を特定へ 77年間伊江島に眠る遺骨…村は試掘、収集目指す 沖縄


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城山の北側に広がる葉タバコ畑の周辺で、日本兵106人が戦死したとみられる壕の位置について「この辺りではないか」と話す内間亀吉さん=4日、伊江村

 【伊江】沖縄戦で激戦が展開された伊江島で、日本軍の部隊106人が米軍の攻撃で戦死したとみられる場所を示した米軍の日報がこのほど、米公文書館で見つかった。伊江村などが9月28日、一帯を視察し、沖縄戦体験者の証言なども参考に、部隊が全滅した可能性が高い一帯を絞り込んだ。周辺に遺骨がある可能性は以前から指摘されていたが、人数などは分かっていなかった。村は位置を特定し遺骨を収集するため、県や国に試掘を働き掛けていく。

 戦没者の遺骨収集に取り組むNPO法人「空援隊」(京都)が過去に入手した資料を分析する中で、日報の記述に気付き村に提供した。日報は、現在のリリーフィールド公園の南、城山(タッチュー)の北の一帯を示し「1945年4月18日午前11時から午後2時半の間に、日本人106人が洞窟で戦死した」と記す。

 伊江島では当時、日本軍が城山を拠点に各所に部隊を配備していた。村教委編「伊江島の戦中・戦後体験記録」には、北海岸を東進して来た米戦車約10両が18日午前10時すぎ、「前田(為徳)中尉(鹿児島県)指揮の2分隊および独機1分隊の正面に来襲した」と記し、この戦闘で前田部隊の大部分が戦死したと記録している。

 元村職員の内間亀吉さん(84)=伊江村=は今回、村の視察に同行した。84年に国が伊江島で遺骨を収集した際の村厚生課長で、当時の玉城金蔵村長と共に事前調査で同地を訪れた。玉城村長は「この辺りに壕があった」と証言したが、戦時中とは地形が変わり、壕が見つからず、調査地点からは外されたという。

 内間さんは、城山の北に広がる葉タバコ畑の一角を指し「玉城村長の証言によると、壕はこの付近ではないか」と語った。

 名城政英村長は「まずは、今回絞り込んだ周辺の試掘が必要だ。暗い地中に戦後77年間眠る人々の遺骨を遺族に返すため、国主導の調査を要請していきたい」と話した。
 (岩切美穂)