取材中、目に涙を浮かべながらこれまでの道のりを話してくれる人は1人や2人ではなかった。そのたびに何度「小さく産んでしまった」という自責の念に駆られてきたのかと、その苦しみに想像を巡らせた。
でも、それだけではなかった。「最近歩けるようになったんです」「元気過ぎてうるさいくらい」と現在の子どもの様子を語る表情は笑顔で、子どもと共に生きていられる喜びが見て取れた。
連載では、無事に生まれ、成長を続ける子とその家族を紹介した。だが低出生体重児は生まれる週数が早ければ早いほど、亡くなる確率も高くなる。子どもを亡くした家族が記事を見て自分を責めたり、苦しんだりしないか、不安だった。
それでも取材に応じてくれた家族から「今苦しんでいるお母さんたちに自分を責めないでと伝えたい」「助けてくれる人は必ずいると知ってほしい」とたくさんのメッセージを受け取り、その思いを伝えようと執筆を決めた。
連載を始めると「実はうちの子も低体重で生まれた」「昔この記事を読んでいたら気が楽になれたかも」「小さな赤ちゃんのことを取り上げてくれてありがとう」など、たくさんの感想が寄せられたことに救われた。
一方で低体重で生まれたことで「子どもに障がいや病気が残ったら将来どうなるんだろうと不安だった」と吐露してくれる人もいた。その言葉は障がいや病気がある子は生きづらく、家族にも負担が重くのしかかるような、現在の社会の在り方に課題があることを意味していると感じた。
医療技術の発展により救える命が増えた一方で、医療的ケアなどを必要とする子は今後も多くなると予想されている。子どもにどんな病気や障がいがあっても「小さく産んでしまったから」と母親が自分を責めたり、ケアの負担を家族だけに強いたりする社会であってはならない。
どんな子であっても、生まれてきてくれたことを喜び、安心して育てていける。いろいろな人と関わりながら、尊重されて生きていける。そんな社会の実現のために、今やるべきことは何なのか、考えるきっかけになればと願う。