【日/En/Es】苦難を越えて現地に根付く~県系人の歩み・ブラジル<海を越え、つながる輪>


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬
南米移民79人たつ 88歳のおばあさんも/ 1968年2月19日、那覇港から出発したブラジル移民団

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!
[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

カンポグランデにある沖縄そばのモニュメント。後ろに見える建物は沖縄そばの屋台が並ぶソバリヤ

English   Espnol

 世界で最も日系・県系移民が多い国・ブラジル。その歴史は1908年、笠戸丸でサントス港に到着した781人から始まります。乗船者のうち325人が沖縄県出身でした。コーヒープランテーションに送られ、契約労働者として働きました。安い賃金で奴隷のように働かされたため、耐えきれず逃げ出す人もいました。農場を離れた人々は、厳しい肉体労働に就いたり、都市近郊で野菜作りをしたりしました。

 14年、サンパウロからつながるノロエステ鉄道敷設工事に参加した県系人の一部が周辺を開拓し、カンポグランデに定住しました。30年代には、各地から県系人がサンパウロに移動。彼らの多くは家族単位で自営業を営みました。

 太平洋戦争が始まると、ブラジルと日本は国交を断絶。排日機運が高まり、日系人は度重なる強制立ち退き命令や財産の没収など苦難を強いられました。また、終戦直後から、日本の勝敗をめぐり県系人を含む日系人同士が対立。日系人社会に大きな傷痕を残しました。

 戦後、日本の敗戦を認めた県系人が「沖縄救援会」を立ち上げ、沖縄に援助物資などを送りました。また救済策の一環として近親者を呼び寄せる動きが活発化。琉球政府も移民政策を推進し、57年には沖縄産業開発青年隊30人が移住しました。その後も多くの県民が後に続き、戦前戦後を通して2万5千人が海を渡りました。

 現在、ブラジルの県系人は16万人に上り、あらゆる分野で活躍しています。県系人が多いサンパウロでは毎年数万人規模の「沖縄祭り」が行われています。若い県系人も沖縄への思いが強く、熱心に文化の継承に努めています。

 


 

「ブラジルを出てその良さに気付いた」と話す上間明エドアルドさん。「沖縄から出て広い世界を見ると地元の素晴らしさに気付くと思う」と笑った

<ステキな先輩!>ウチナーグチ復興したい/ブラジリア出身・県系3世 上間明エドアルドさん(38)

English   Espnol

 「沖縄の人はみんな日本語とウチナーグチが話せると思っていた」。そう語るのは父方の祖父母が今帰仁村出身の県系3世、上間明エドアルドさん(38)=宜野湾市。2008年に県費留学生として初めて沖縄を訪れ、多くの県民がウチナーグチを話せないことにショックを受けました。

 上間さんは祖父母が日本人ということもあり、幼い頃から日本に関心がありました。13歳ごろ、その出身が沖縄だったと知り「新しい世界が広がった」そうです。ウチナーグチに興味を持ち、サンパウロの県系人から習ったり、文法についての本を取り寄せ独学で学んだりしました。

 名桜大学の授業では、沖縄出身の学生もいる中で上間さんが一番ウチナーグチを話せたそうです。「言葉だけでなく、話されなくなった背景も学びたい」。より深く学ぶため留学終了後も沖縄に残ることを決意。県内で就職しました。その後、ウチナーグチ講師の比嘉光龍さんと学びを深め、17年からは琉球大学のサークルでウチナーグチやその歴史を教えています。ウチナーグチの復興を目指す上間さん。子どもたちに「もっと沖縄の言葉を大切にして、使ってほしい」と呼び掛けました。
                                                          (2021年3月7日付りゅうPON!掲載)


 

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