【日/En/Es】洗濯業で生活基盤築く~県系人の歩み・アルゼンチン<海を越え、つながる輪>


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経営するクリーニング店で作業する読谷村出身の比嘉憲英さん=1960年ごろ、アルゼンチン(読谷村提供)

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!

[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

2013年に開催されたアルゼンチン県人会婦人部祝賀会と敬老会。今でも節目や祝い事では伝統芸能が披露される

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 19世紀後半以降、アルゼンチンでは労働力確保のために、ヨーロッパから移民を受け入れてきました。1908年に笠戸丸でブラジルに渡った移民の一部が転住したのが日本人移民の始まりです。その中には沖縄出身者もいました。正式に沖縄県の移民を受け入れたのは13年で、38年までに日本人移民全体の56%に当たる2754人が海を渡りました。アルゼンチンには契約移民制度はなく、全て自由移民だったため、親戚・知人の縁故をたどる「呼び寄せ」が主流でした。

 当時のアルゼンチンは生活水準が高く、すでにラテン系白人社会が形成されていました。農場での雇用は少なく、日本人移民の多くは都市部で家庭奉公やタクシー運転手、カフェの給仕などサービス業に就きました。20年頃には、洗濯業、花の栽培、野菜の栽培が日本人移民の三大職業となります。特に洗濯業は、スペイン語が話せなくても仕事ができ、少ない資本で開業できたため、多くの沖縄出身者も従事しました。

 第2次世界大戦が始まると、日本人移民は敵性国民として多くの国で弾圧を受けましたが、アルゼンチンは対日感情が良く、迫害されることはありませんでした。終戦後の1948年、沖縄救済策の一環として、近親者によるアルゼンチンへの呼び寄せで33人が移住します。これを皮切りに沖縄の戦後移民が再開。48~93年までに3897人もの県民がアルゼンチンに渡りました。現在、日本人移民の8割は沖縄県系が占め、アルゼンチン社会の発展に寄与しています。

 戦前戦後を通し、県系1世は苦労しながら生活基盤を固め、師弟の教育に力を入れました。県人の故郷への思いも強く、沖縄への留学経験がある若者で組織する沖留会を中心に、三線や空手など沖縄文化の継承発展に努めています。

 


 

第54回琉球古典芸能コンクールで三線を奏でる佐久田アンドレスさん=2019年、那覇市の琉球新報ホール

<ステキな先輩!>伝統の技 磨きたい/ブエノスアイレス出身・県系3世 佐久田アンドレスさん(45)

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 2019年、琉球古典芸能コンクール野村流音楽協会歌三線新人部門に合格した佐久田アンドレスさん(45)=那覇市。21年にはアルゼンチンカラーの三線を制作し、県工芸公募展の育成部門で新人賞に選ばれるなど、沖縄の伝統文化の継承に熱心に取り組んでいます。

 佐久田さんはブエノスアイレス出身。父方の祖父が浦添市、祖母が那覇市、母方の祖父母が旧勝連町出身の県系3世です。スペイン語を話し、アルゼンチンの私立校に通うサッカーが大好きな少年でした。当時はそこまで県人会活動に熱心ではなく「あまり関係ないと思っていた」と振り返ります。

 マッサージ師として働いていた2011年、浦添市南米師弟研修で初めて沖縄を訪れました。沖縄の歴史や文化、人々の温かさに触れ、「自分の故郷はここだ」と強く感じたそうです。空手や三線、ウチナーグチなどを学んだ半年間の研修後、アルゼンチンに戻りますが、沖縄への思いが募り、15年に那覇市の研修生として再来沖。16年の第6回世界のウチナーンチュ大会にも参加しました。「いつか沖縄に戻りたい」という願いをかなえ、17年に沖縄移住を果たします。沖縄で仕事を探し、本格的に空手と三線を学び始めました。仕事と稽古の両立は大変ですが、「本場の沖縄でもっと技を磨きたかった」と力を込めます。

 今も働きながら稽古を続ける佐久田さん。今後は年老いた両親のことを考え、飛行機で直行便のあるスペインへの移住を考えています。「スペインでも空手と三線を続けたい。沖縄の若い人たちは、もっと沖縄の良さを知って発信してほしい」と呼び掛けました。

(2021年8月1日付りゅうPON!掲載)


 

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