【日/En/Es】戦争、引き揚げで苦難~県系人の歩み・台湾<海を越え、つながる輪>


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嘉手納農林学校卒業後に渡台した読谷村出身の喜友名健一さんは、3千坪の農場がある台湾製糖株式会社に就職した。写真は研修中の畑作業=1938年(読谷村提供)

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!

[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

石垣市名蔵に建てられた台湾農業者入植顕彰碑=2012年8月

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 1895年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を植民地としました。当時の台湾は発展著しく、特に製糖業が盛んでした。一方の沖縄は大変貧しく失業者も多かったため、多くの県民が仕事を求めて台湾に渡りました。定期航路を使わず自前の船で行く人、漁獲を求めて一定期間住み着くウミンチュ(漁師)もいました。1940年には台湾に住む沖縄人は1万4695人に上りました。

 台湾での沖縄人は、日本本土からの移住者による差別や偏見にさらされながらも、さまざまな職種で働きました。そのような中から困難に負けず各界で活躍する人が現れます。後の戦後初代沖縄県知事・屋良朝苗もその1人でした。

 台湾から沖縄に移住した人もいました。石垣島では台湾出身者がパイン栽培に成功し、缶詰工場を立ち上げました。彼らは戦中に栽培を禁止されたパインを戦後復活させ、沖縄でパイン産業を確立しました。また西表島の炭鉱で、過酷な強制労働に従事させられた人もいました。

 太平洋戦争が始まると、政府の命令で約1万3千人の沖縄県民が台湾に疎開しました。台湾でも沖縄と同じく、住民は防衛隊や学徒隊として軍隊に動員されました。45年には台北市内への空襲が本格化。多くの命が失われました。

 戦争が終わると日本人47万人が台湾から引き揚げることになりました。その中に3万人もの沖縄人がいました。沖縄人は「琉僑」と呼ばれ日本本土の人とは区別され、引き揚げ許可も後回しにされました。台湾の治安が乱れる中、琉僑は危険と飢えにさらされました。決死の覚悟で、ひそかに沖縄に戻った人もいました。

 46年10月、沖縄への引き揚げが始まり、沖縄出身の元軍人が「琉球官兵」として帰還業務にあたりました。蓄えた財産を没収され、着の身着のままでの帰郷となりました。

 終戦直後からの数年間、与那国島は台湾から物資を運ぶ密貿易の拠点として栄え、最盛期には人口が1万2千人にまで膨れ上がりました。今でも与那国島は台湾の花蓮市と姉妹都市協定を結び、交流を深めています。

 


 

台湾留学中、語学学校の友人たちと共に大甲媽祖の祭りを見に行った山田麻紀子さん(写真左端)=2009年2月

<ステキな先輩!>ずっと関わり続けたい/交換留学経験者 山田麻紀子さん(34)

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 山田麻紀子さん(34)=八重瀬町=は大学時代、台湾に留学しました。帰国後も留学生と交流を持ったり、中国語を生かせる仕事に就いたりするなど、台湾を身近に感じられる日々を過ごしています。

 山田さんは北大東村出身。村は英語教育が盛んで、欧米留学を目指し沖縄国際大に入学しました。そこで台湾からの交換留学生と親しくなり、台湾に興味を持ちます。「帰郷した友人に会うために」3週間の台湾研修に参加。大学4年の時に交換留学で台湾に渡りました。「語学だけでなく台湾の歴史や文化を学び、人々の温かさに触れた1年間だった」と振り返ります。

 山田さんは卒業後、沖国大図書館に就職。仕事の合間に同大で学ぶ留学生が「より沖縄での生活を楽しめるように」とお手伝いを始めます。「私も留学中に周りに助けられたから恩返しがしたかった」と話します。中国語を生かして県内観光施設に転職した後も、交流は続きました。

 「留学時代の経験は宝。ずっと台湾と中国語に関わりたい」と話す山田さん。「可能性も選択肢もたくさんある。やりたいことを諦めずに挑戦してほしい」とエールを送りました。

(2021年11月7日付りゅうPON!掲載)


 

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