【日/En/Es】排斥された日系移民~県系人の歩み・アメリカ<海を越え、つながる輪>


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1920年代初頭、カリフォルニア州南部にあった唯一の沖縄県系人経営の農家「上田安座間氏苺園」。イチゴの栽培をしていた 出典:国立国会図書館デジタルコレクション(インターネット公開「南加州同胞発展写真帖 福島源太郎編 文林堂書店」大正2)

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!

[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

アメリカ本土出身とハワイ出身の日系2世兵(儀間真栄さん提供)

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 沖縄県系人がアメリカ本土に渡ったのは1889年。当初はハワイやカナダに渡った県系人の転住でした。アメリカ西部開拓に伴う鉄道敷設工事や農園、缶詰工場などで過酷な労働に従事しました。

 1907年、アメリカ本土には9万人もの日系人が住んでいました。勤勉で低賃金でも働く日本人労働者のせいで、多くの白人が失業したとして、国内で反感が高まり、排日運動は激化。24年には「排日移民法」が施行され、アメリカへの移民はできなくなります。その後、日本の中国侵略などによって、国内での日系人への不信感はますます高まりました。

 1941年、日本のハワイ・真珠湾攻撃により、アメリカ国民である2世を含む日系人を「敵性外国人」と見なし、財産の没収や夜間の外出禁止などの弾圧を始めました。42年には県系人を含む約12万人が収容所に送られました。

 日系人はスパイだという偏見の中、日系2世の中にはアメリカに忠誠を誓い軍隊に志願する人もいました。ハワイや本国の日系2世からなる「第100大隊」や「442連隊」は、ヨーロッパ戦線で多数の死者を出しながら、激戦を戦いました。彼らは二つの祖国の間で苦悩しながらも、戦場に向かいました。県系2世の中には米軍の通訳として沖縄戦に従軍した人もいました。壕に隠れる住民に対しウチナーグチで投降を呼び掛けるなどして、多くの命を救いました。

 1946年、地上戦で荒廃した郷土・沖縄を救おうと、ロサンゼルスで沖縄戦災救援連盟が発足し、各地に救援の輪が広がります。生活物資や学用品を送り、沖縄復興を支えました。

 戦前、カリフォルニア州を中心に暮らしていた県系移民も、現在ではアメリカ全土に広がり、48の県人会が活動しています。差別や偏見を乗り越え、沖縄文化の継承・発展に努めています。

 


 

大学の友人と再会するためにシカゴに訪れた宮城杏菜さん(右から2人目)=2021年5月、ミシガン湖

<ステキな先輩!>留学が原点 若者の力に/ミズーリ州・リンデンウッド大4年 宮城杏菜さん(23)​

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 アメリカ中西部ミズーリ州のリンデンウッド大で国際ビジネスについて学ぶ宮城杏菜さん(23)=那覇市出身。中学生の頃から英語が大好きで「アメリカ留学が夢だった」と話します。
 中学時代に通った英語教室で、宮城さんは英語の面白さに目覚めました。留学を目指し、那覇国際高校に入学。勉強を重ね、高3で県費留学生に選ばれてアメリカの地を踏みました。「この経験で世界が広がり、人生の考え方が変わった」と笑います。

 アメリカでの大学進学を決意した宮城さんは、留学生対象の奨学金制度がある現在の大学に進学。そこで南米出身の県系人とも仲良くなりました。「彼らは祖父母がウチナーンチュで、日本語は話せないけど、自分のルーツは沖縄だと考えていた」。宮城さんは県系人の思いに圧倒されました。

 20年3月、コロナ禍で大学が閉鎖され、一時帰国しました。オンライン授業の傍ら、ウチナーネットワークに関わり始めます。「沖縄の若者に県系人について知ってもらい、各国の県系人同士をつなぐ力になりたかった」。世界各国の若い県系人をつなぐオンラインイベントを仲間と企画し、当日は通訳として活躍しました。

「県費留学が出発点」という宮城さん。今後、留学する沖縄の若者の力になりたいと考えています。「外から見て分かる沖縄の良さもある。怖がらずに、海外に出てほしい」と話しました。

(2022年2月6日付・3月6日付りゅうPON!掲載分を再構成)


 

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