【日/En/Es】日米の激戦で多くの犠牲~県系人の歩み・旧南洋群島<海を越え、つながる輪>


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艦砲射撃と空爆を受けたテニアンの町=1944年(沖縄県公文書館所蔵)

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!

[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

サイパンのおきなわの塔で開かれた第48回全南洋群島沖縄県人戦没者慰霊祭で祈りをささげる帰還者ら=2017年5月(国際旅行社提供)

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 1920年代、沖縄県はソテツ地獄と呼ばれる大不況で県民は苦しい生活を強いられました。日米関係の悪化で北米や中南米への移民が難しくなる中、旧南洋群島に設立された南洋興発が、サトウキビ栽培に慣れた沖縄県民の積極的な採用を進めます。県民にとっても、旧南洋群島は日本の委任統治領でパスポートも必要なく、衣食住も楽、そしてもうかるということで、こぞって海を渡りました。

 県民の多くは南洋興発所有のサトウキビ畑で働きました。本部・名護・糸満などからカツオ漁の漁船団を組んだウミンチュがパラオに出漁し、沿岸に住み着きました。学校の児童生徒も半数以上が県人の子弟。41年には県系人は5万3206人にもなりました。旧南洋群島に「もう一つの沖縄」が生まれたような状況でした。

 南洋の島々にも戦争が近づいてきます。42年のミッドウェー海戦敗退後、日本軍は日本人の女性や子ども、高齢者を日本に引き揚げさせます。その途中で米軍に撃沈された船もあり、犠牲者は1700人に上りました。

 44年2月、米軍によるサイパン、テニアンへの空襲を皮切りに、日米の戦闘が始まります。米軍はサイパンやテニアンなど南洋の島々に上陸し、多くの民間人が戦場を逃げ惑いました。日本兵による住民の壕追い出し、手りゅう弾や投身による「強制集団死」(集団自決)も相次ぎました。旧南洋群島での県系人の犠牲は1万2826人に上りました。

 46年、米軍は旧南洋群島にいた日本人全員の引き揚げを命じます。3万3千人もの県系人が着の身着のままで沖縄に引き揚げました。48年、旧南洋群島から引き揚げた人々が集まって「南洋群島帰還者会」を設立します。設立当初は再移民が目的でしたが、次第に戦没者の慰霊と現地住民との交流が活動の中心となっていきました。2019年、会として最後の墓参を行いました。

 


 

第50回南洋群島慰霊祭で遺族代表あいさつをする比嘉俊雄さん=2019年8月27日、米自治州のサイパン

<ステキな先輩!>南洋の歴史つなぎたい/帰還者会理事 比嘉俊雄さん(53)​

English   Espnol

  南洋群島帰還者会最年少理事の比嘉俊雄さん(53)=豊見城市=の曽祖父は戦前、サイパンに渡りました。「親族の9割が南洋に行った」という比嘉さん。自らのルーツをたどるため帰還者会に関わり、同じようにルーツを求める人々の手助けをしています。

 比嘉さんの父・和雄さんは1歳で祖母とサイパンから沖縄に引き揚げました。徴兵された祖父は戦死。和雄さんから南洋の話を聞くことはなかったといいます。

 そんな比嘉さんが帰還者会の存在を知ったのは15年前。「仏壇の7つの位牌のうち6人が南洋で亡くなっている。彼らがどのように生きたのかを具体的に知りたかった」と振り返ります。帰還者の話や資料から曽祖父がサイパンで「笑福楼」という料亭を経営していたこと、戦死した祖父のこと、曽祖父の兄弟がテニアンで農業を営んでいたことが分かりました。

2017年から3年間、旧南洋群島の慰霊碑を巡る戦没者慰霊祭に参加。慰霊祭の運営に携わる傍ら、曽祖父の料亭があった場所を確認することができました。

 現地に沖縄県人会がなく、帰還者の高齢化が進む中、旧南洋群島の歴史が埋もれることに強い危機感を抱いています。「対馬丸記念館のように『ここに来たら南洋群島のことが分かる』という場所をつくりたい」と力を込めました。

(2022年6月5日付りゅうPON!掲載)


 

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