【日/En/Es】砲弾と飢えに苦しむ~県系人の歩み・フィリピン<海を越え、つながる輪>


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬
空襲を受けたダバオ市内=「ダバオ懐かしの写真集」(1988年発行)より(沖縄県ダバオ会提供)

 まっちょーたんどー!今月30日から11月3日の日程で第7回世界のウチナーンチュ大会が行われます。新天地を夢見て世界に羽ばたいたウチナーンチュやその子孫が故郷沖縄に帰ってきます。小中学生新聞にこれまで掲載してきた連載「海を越え、つながる輪」の中から、県系人の歩みと現地で活躍するステキな先輩を紹介します!

[English]Matcho-tando! The 7th Worldwide Uchinanchu Festival will be held from the 30th of this month to the 3rd of November. Uchinanchu and their descendants who dreamed of a new land and spread their wings to the world will return to their hometown Okinawa. From the series of articles in the elementary and junior high school newspapers, "Crossing the Sea, Connecting Circles," we introduce the progress of Uchinanchu and their wonderful seniors who are active in their hometowns!

[Espanol]¡Machotando! Los VII Juegos Mundiales de Uchinanchu se celebrarán del 30 de este mes al 3 de noviembre. Uchinanchu y sus descendientes, que soñaban con un nuevo mundo, volverán a su ciudad natal, Okinawa. A partir de la serie "Cruzando el mar, enlazando el círculo" en el periódico de la escuela primaria y secundaria, presentamos el progreso de Uchinanchu y sus maravillosos mayores que son activos en sus ciudades de origen.

Ryukyushimpo Multilingual NEWS

コロナ禍で3年ぶりにダバオの塔で行われた慰霊祭。弔辞を述べる沖縄ダバオ会の山入端嘉弘会長=2022年4月26日、糸満市の平和祈念公園

English   Espnol

 沖縄からフィリピンへの移民は1904年、ベンゲット道路工事のために114人が海を渡ったのが始まりです。道路開通後も現地に残った移民の多くは新たな働き口を求め、ミンダナオ島ダバオに渡ります。生活が厳しい沖縄から多くの県民がフィリピンを目指しました。

 県民の多くはダバオに住み、アバカ栽培に従事しました。麻需要に伴う好景気を背景に移民も増加し、定住者も増えていきます。16年には沖縄県人会が組織されます。アバカ畑で共に働く現地住民との関係も良好でした。43年のダバオ在留日本人は1万9089人。そのうち1万166人が沖縄県出身者でした。県人の中にはルソン島やパナイ島で漁業や商業を営む人もいました。

 1世は子弟の教育にも熱心で、寄付金を募り各地に日本人学校を設立しました。現地でアメリカ人教師を雇い英語を教えるなど、高い教育水準を誇りました。

 42年6月、日本軍がフィリピンを占拠します。軍事色が強くなり、現地住民に対しても皇民化教育を行いました。44年、フィリピン奪還を目指し、米軍はレイテ島を皮切りに各地に上陸。日米の地上戦が繰り広げられます。各地で日本軍によるフィリピン人虐殺も起きました。

 45年4月、ミンダナオ島に米軍が上陸。ダバオにいた日本人は着の身着のままタモガンに避難します。住民は砲弾と極度の飢えに苦しみながらジャングルを逃げ惑いました。マラリアや栄養失調で亡くなる人が続出。日本兵による食料強奪もありました。フィリピンでの県系人の犠牲は1万2000人に上りました。

 敗戦後の45年10月、米軍は日本人の引き揚げを命じます。現地女性との間に生まれた子どもや孤児の中には、反日感情渦巻くフィリピンに残され、残留日系人2世となった人もいました。

 引き揚げ後、ダバオの元移民や遺族で全国ダバオ会を発足。各都道府県ごとに慰霊と現地住民との交流を目的に墓参旅行が行われてきました。また、戦後も多くの県民がフィリピンに渡り1982年にはマニラを中心にフィリピン沖縄県人会を設立。沖縄文化の継承発展に努めています。

 


 

ダバオ県系2世安里勝さん(写真左)と孫の良太さん。「コロナが落ち着いたら、共にダバオに行きたい」と計画している=6月29日、北中城村

<ステキな先輩!>いつか祖父の生まれた地へ/ダバオ県系2世の孫 安里良太さん(26)

                                                                   English   Espnol

 沖縄市立美里中学校で社会科を教える安里良太さん(26)の祖父・勝さん(86)はダバオ出身の県系2世です。良太さんは、ダバオで生まれ、地上戦と沖縄引き揚げを経験した祖父の記憶を引き継ぎ、次代につなげたいと考えています。

 良太さんが物心つく前からフィリピンを行き来していた勝さん。中高生になり、現地で亡くしたきょうだいへの慰霊のために訪れていたことを知ります。「ダバオで生まれたこと、戦争や引き揚げで苦労したことも知らなかったから衝撃だった」と振り返ります。

 もともと無口な勝さんですが、少しずつフィリピンでの思い出を話してくれるようになりました。小1まで学校に通っていたこと、米軍の砲撃を受け弟を失い、自身も大けがをしたこと、引き揚げ先の鹿児島県加治木町で姉と弟を失ったこと―。「おじいの命があったから僕がいる。その重みを感じている」と話します。今も厳しい生活を強いられる残留日系人の問題も「人ごとではない」と感じているそうです。

 良太さんは勝さんとともにダバオを訪問し、祖父の生まれた地を見て、その歴史を感じたいと考えています。「体験者の高齢化が進む中、今が話を聞く最後のチャンス。聞いて記録して、小さな規模でも慰霊祭を続けていけたらいい」。教師として孫として、勝さんの記憶をつないでいきたいと力を込めました。

(2022年7月3日付りゅうPON!掲載)


 

>> 世界のウチナーンチュ関連記事をまとめ読み

世界のウチナーンチュ大会を楽しもう!/ Enjoy the Worldwide Uchinanchu Festival!/ ¡Disfruta del Festival Mundial de Uchinanchu!

▼世界のウチナーンチュの歩み~県系人42万人、故郷に誇りと愛~

大会取材班のインスタはこちら/Instgram on Ryukyushimpo