知ってた?沖縄初のプラネタリウムもあった那覇市牧志の「子供博物館」が別名「ペルー館」だった理由 1954年当時の写真をペルー県人会に寄贈  


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ペルー県人会の小橋川ラウル会長(左)に写真を手渡す安村秀夫さん=4日、那覇市のパシフィックホテル沖縄

 1954年に現在の那覇市牧志の緑ヶ丘公園付近に開館し、66年まであった子供博物館には「ペルー館」という別名があった。ペルー沖縄県人会が建設費の約3分の2を負担したことにちなむ。「決してあの恩を忘れるわけにはいかない」と、父が子供博物館の元事務局長だった那覇市の安村秀夫さん(72)が4日、第7回世界のウチナーンチュ大会で来県したペルー沖縄県人会に当時の写真を贈り、感謝の言葉を述べた。

 子供博物館は沖縄PTA連合会が主導し、児童福祉向上のため建設された。建設予算は191万円で、うち121万円はペルー沖縄人連盟(現ペルー沖縄県人会)が52年に琉球臨時中央政府に贈った寄付から充てられた。完成後は、建設事業に奔走したPTA連合会の安村良旦(りょうたん)さん=64年死去=が事務局長を務めた。

 良旦さんの息子の秀夫さんは、子供博物館でよく遊んだ記憶がある。自宅には、良旦さんが撮影した当時の写真も多く残されている。博物館には後に、沖縄初のプラネタリウムも設置された。

現在の那覇市牧志に1954年に開館した子供博物館。「ペルー館」とも呼ばれた(安村秀夫さん提供)

 沖縄と海外県系人との関係では、戦後にハワイから豚が送られたエピソードがよく知られる。一方で「ペルーとのつながりが多くの人に忘れられている」と感じていた秀夫さんは4日、那覇市内のホテルでペルー県人会の一行と会い、当時の様子を説明した。「ペルーの皆さんの協力なしに博物館はできなかった。ずいぶん時間がたったが、決して恩を忘れない」と感謝した。

 写真を受け取ったペルー県人会の小橋川ラウル会長は「写真を事務所の特別な場所に飾りたい。当時の子どもたちのために県人会が協力していたことはうれしいし、一つの絆をつくるストーリーだ」と述べた。

(當山幸都)