ケンカする暴力団関係者に、食い逃げを追うキャッチ…沖縄で最古参の居酒屋「養老乃瀧」50年 那覇市松山 家族総出で経営つなぐ


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養老乃瀧の矢満田敏之社長(左)から表彰された高良大助さん(中央)、母の千代子さん=11月、那覇市松山の養老乃瀧松山店

 那覇市松山の居酒屋「養老乃瀧」は今年、1972年6月の開店から50周年を迎えた。日本復帰直後の沖縄で、それまでなかった形の大衆酒場は珍しがられ、半世紀たった今も多くの客でにぎわう。入れ替わりが激しい飲食業界だが、家族経営や客に合わせた営業を続け、沖縄にある居酒屋フランチャイズチェーン(FC)の中で最古参になった。

 1956年に横浜で第1号店がオープンした養老乃瀧は、那覇市松山店が県内初出店だった。現在、5代目のFC店経営者の高良大助さん(50)の叔父が、復帰前の東京で養老乃瀧の繁盛ぶりに驚き、沖縄に持ち込むと決めたことがきっかけだ。

 松山を皮切りに店舗は増え、復帰から数年後に法人化して沖縄エリアのフランチャイズ権を得た。3代目が大助さんの母千代子さん(78)、4代目が父の故政彦さんで、家族で経営をつないできた。現在は那覇市内で3店舗を運営する。

 開店当時を知る千代子さんによると、松山は現在のような繁華街というより、問屋街に近かった。「今でいう居酒屋はなく、アメリカナイズされていない日本本土のお店は珍しがられた。開ければお客さんはたくさん入った」と振り返る。

 客層は幅広く、当初は店内でけんかを始める暴力団関係者に頭を悩ませたことも。千代子さんが毅然と対応するうち、客の間でも「かーちゃんに迷惑はかけるな」が合言葉のようになった。食い逃げ犯をキャッチ(客引き)が追い掛けて捕まえたこともあり、県内屈指の繁華街ならではのエピソードには事欠かない。

 台風が襲来すると、行き場をなくした客から決まって「開けてくれ」との声が寄せられる。これまで台風で閉めたのは一度だけ。「居酒屋より食堂という感じで、家族総出でずっとお客さんに合わせてやってきた」(千代子さん)。

 開店から50年を迎え、今年11月には養老乃瀧(東京)の矢満田敏之社長が松山店を訪れ、永年経営者として高良さん親子に表彰状を贈った。矢満田社長は「50年も守ってもらい感謝している」と話し、大助さんは「養老乃瀧だからここまでやってこられた。ずっとこの名でやっていきたい」と語った。
 (當山幸都)
※注:高良さんの高は、「はしご高」