「やーさん(ひもじい)、ひーさん(寒い)」…那覇市内の児童らが沖縄戦の学童を追体験 沖縄・渡嘉敷島で研修


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渡嘉敷の沖縄戦犠牲者を悼む白玉之塔で、ガイドの米田英明さん(左)から説明を受ける疎開体験事業の参加児童ら=27日、渡嘉敷村(提供)

 対馬丸疎開体験事業の本研修が26日から2泊3日の日程で、渡嘉敷島で始まった。那覇市内の小学5、6年生20人が参加して「集団自決」(強制集団死)の跡地や戦跡を巡って意見を交わし、平和の尊さや戦争の悲惨さについて考えを深めた。

 初日の26日は、平和ガイドを務める米田英明さん(74)が講師となり、沖縄戦の経緯や多くの住民を巻き込んだ「集団自決」について学んだ。

 米田さんの母親は「集団自決」の場を目の当たりにした経験者。母親は体験を語れるようになるまで戦後約60年かかったとし、戦争は多くの命を奪うだけでなく、体験者の心にも深い傷を与えることを伝えた。

 母親が生き抜いたからこそ、米田さん自身が今平和について語ることができると児童らに強調し、「命(ぬち)どぅ宝だ。皆さんが渡嘉敷を訪れ、感じたことは大切。平和への一歩にしてほしい」と呼びかけた。

 真和志小5年の児童は「米田さんの話を聞いて、当時、人の命が軽く扱われていたことに驚いた。(慰霊碑に刻まれた)犠牲者の数も思っていたより多かった」と感想を話した。

 本研修は当時の疎開学童が味わった「やーさん、ひーさん、しからーさん(ひもじい、寒い、寂しい)」を体験して、戦時に学童が置かれた状況を学ぼうと実施。児童らは27日も星空の下で寒さを体験したり、大根の葉と芋を混ぜたご飯を食べたりして当時の生活を追体験した。研修は28日まで行われる。
 (新垣梨沙)