2022年11月17日、与那国空港に着陸した自衛隊輸送機から、陸自最新鋭の16式機動戦闘車(MCV)が降り立った。105ミリ砲を登載したMCVは、住民の生活道をゆっくりと通り抜け、与那国駐屯地へと入っていった。物々しい雰囲気に包まれた島で、複雑な思いを抱えながら見守っていたのが、前町長の外間守吉氏(73)だった。「(配備が)これ以上になると、島が要塞(さい)化する。地元主導で経済発展する仕組みをつくらないといけない」。自身が誘致した自衛隊の活動が激しくなる現状に、苦悩をにじませた。
MCVの動きは日米共同統合演習「キーン・ソード」の一環。期間中、島に初めて米軍が訓練で入り、自衛隊と共同で演習した。
外間氏は町長時代の09年6月、防衛省に対して「大規模災害や海底資源を巡る周辺国への動向を憂慮する」として、町内への自衛隊配備を要請した。1972年の日本復帰に伴う自衛隊の配備以降、県内で新たに駐屯地が建設されれば初めて。配備の賛否を巡り、島民らの意見は割れ、住民投票に発展した。賛成派が上回ったものの、島民の間で対立と分断が生まれた。
それでも、外間氏が誘致活動を進めたのは、自衛隊の配備によって、歯止めが掛からない人口減少を食い止め、経済発展につなげることだった。実際、駐屯地の新設によって、自衛隊員とその家族など約200人が島に移り住み、配備前の15年に1489人だった人口は、16年に1686人まで増加した。だが、その後は1700人前後、横ばいで推移する。
陸上自衛隊与那国駐屯地の創設は15年度末の16年3月だった。県統計課によると、与那国町の1人あたりの町民所得は11~14年度は200万円台だったが、15年度に300万円台に突入。16年度以降400万円台を超す年が続く。自衛隊員や家族が移り住んできたことで所得が押し上げられた可能性がある。だが町民からは、生活が豊かになったという実感はないとの声が漏れる。50代の農業の男性は「この島は自衛隊ができる前から変わらず貧乏なままだ」と吐き捨てるように言った。
外間氏らが駐屯地新設前に描いた経済発展や、人口増加の将来像とはかけ離れた現状が広がる。(池田哲平、西銘研志郎)
続き>>ミサイルが来るなら賛成しなかった」…拡大する部隊配備…賛成派にも戸惑い
連載「自衛隊南西シフトを問う」
2010年の防衛大綱で方向性が示された自衛隊の「南西シフト(重視)」政策の下、防衛省は奄美、沖縄への部隊新編、移駐を加速度的に進めてきた。与那国、宮古島に続き、今年は石垣駐屯地が開設される。22年末には戦後日本の安全保障政策の大転換となる安保関連3文書が閣議決定され、南西諸島の一層の軍備強化が打ち出された。南西シフトの全容と狙い、住民生活への影響など防衛力強化の実像に迫る。