嘉手納弾薬庫内には戦前集落があった 家屋跡や豚小屋…食器なども出土 大工廻集落跡で発掘説明会


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発掘調査が進む大工廻八所集落跡地。琉球石灰岩の切石で造られたフール(豚小屋)が紹介された=12月16日、沖縄市大工廻の嘉手納弾薬庫内

 【沖縄】沖縄市大工廻(だくじゃく)の嘉手納弾薬庫内で12月16日、大工廻八所(だくじゃくやとぅくるー)集落跡の発掘調査現地説明会が開かれた。県立埋蔵文化財センターが主催した。戦前にあった家屋跡やフール(豚小屋)など、戦前の生活の跡が紹介された。説明会は3回に分けて行われ、計21人が訪れた。

 八所集落は、廃藩置県後に首里や久米などからやってきた士族が大工廻集落の一部を開墾してできたとされている。だが1945年4月の米軍上陸とともに一帯は接収され、嘉手納飛行場が建設された。現在は弾薬庫となっており、普段は立ち入ることはできない。

 説明会では、二つの家屋跡が紹介された。それぞれの屋敷の周りにはアムトゥ(盛り土)があり、その内側には琉球石灰岩の切石で造られた家畜小屋跡やフールがあった。酒瓶や食器などの出土品も紹介された。

 宜野湾市から参加した玉城加代子さん(79)は、大工廻郷友会のメンバーで、大工廻集落にルーツを持つ。玉城さんは「実際に集落跡を見るのは初めてだ。生活していた様子が残っていて驚いた。まだほかにも遺跡があるのではないか」と話した。県立埋蔵文化財センターは昨年6月から発掘調査を始めた。今年2月まで行う。
 (石井恵理菜)