自分の育った与那国島のアイデンティティーを守りたい。そんな決意が刻まれた美しい映画が2021年に生まれた。タイトルは与那国語で「忘れない」を意味する「ばちらぬん」。与那国出身の東盛あいかさん(25)が脚本から監督、主演、撮影、編集まで務めた。島の若者の「個人的な」思いから生まれた作品は普遍性を持って多くの人に受け止められ、全国で上映を重ねている。
東盛さんは小学2年か中学卒業まで母の故郷・与那国島で過ごした。島には映画館もレンタルDVDの店もなく、駅伝に熱中するスポーツ少女だった。
中学卒業後は石垣島の高校に進学したが、部活など学校生活の悩みから不登校になった。「消えてなくなりたい」。自己嫌悪に陥り、家で映画のDVDを見て過ごした。「映画について考えている間は自分のことを考えずに済む。現実逃避に近い行為だった」
次第に映画をつくる側に憧れるようになり、俳優を目指して京都造形芸術大(現在の京都芸術大)に進学した。「表現者として自分自身を深く知らないといけない」。そう感じて島に関する勉強を始めると、与那国語が消滅の危機に直面し、風景や暮らしも少しずつ変わっていくことに焦燥感が募った。大好きな祖父が老いていく姿も島の変化と重なって見えた。「今の与那国をとどめるすべ」として、卒業制作で生まれた映画が「ばちらぬん」だ。
当初の企画は与那国で全編ロケをするフィクションだった。だが20年春からの新型コロナウイルス感染拡大で仲間が島に来られず、計画は暗礁に乗り上げた。一時は落ち込んだが、「じっとしていても何も生まれない。とにかくカメラを回そう」と動いた。
島の人々を訪ねて撮影する中で、初めて行く場所や初めて聞く話に出合った。その一つが生物の痕跡が残った生痕化石だ。「ちっぽけな生き物が何百年、何千年も経て私たちの前に現れている」と心を動かされ、「命が循環する感覚」が映画の世界観に生かされた。撮影の足止めは「島を吸収する時間」に変わり、新たな構想につながった。
コロナ禍で行動が制限されたことで、作品は与那国で撮ったドキュメンタリーと京都で撮ったファンタジーを織り交ぜる形式に。ファンタジーのシーンでも登場人物は与那国語で語る。時と場所を超えて与那国の暮らしや歌、自然を映し出した。「ばちらぬん」は大学の学長賞を受賞し、新人監督を発掘する「PFFアワード2021」でグランプリに輝いた。
昨年5月からは全国各地の劇場で公開された。東盛さんにとって「ばちらぬん」は自分の分身のような存在。どう受け止められるのかが分からず怖かったが、反響は大きく「こんなに届く人たちがいたんだ」と驚いた。観客から「自分の故郷や大切な人につながった」という感想もあり、「見た人それぞれの『ばちらぬん』に育っていく」手応えを得た。
全国公開に先立ち、昨年4月には与那国で上映を果たした。一緒に作った仲間もようやく島を訪れることができた。会場は小学校や公民館。外から牛や虫の鳴き声が聞こえ、映画に溶けこんだ。老人ホームで上映した時は、お年寄りたちが歌のシーンで一緒に歌い出した。「その土地で生み出したものは、土地の人に返さないといけない」と改めて感じた。
国境の島、与那国は安全保障を巡って揺れてきたという側面もある。中学生の頃、島の人々は自衛隊配備への賛成、反対で二分されていた。東盛さんたちは「基地が来てほしくない」と学校で署名活動をしたが、校長に署名を没収された。学校側は「校内で政治活動をしてはいけない」の一点張りで「何かが折られた気がした」。
今、与那国をはじめ県内の自衛隊基地の強化が進もうとしている。住民の知らないところで島が変わっていくことに、東盛さんは「当の本人たちは蚊帳の外なの」と感じている。一方で「自衛隊がいないのも怖い。賛成か反対かというと難しい」と複雑な思いを抱える。ただ、安全保障の面から与那国が注目されることに「それだけの島ではないことをもっと知ってほしい」と強調する。
東盛さんは「ばちらぬん」を通して多くの人に出会い、与那国の可能性を感じた。昨年12月には与那国、台湾、日本の三つの言語で上演する影絵芝居「鯨生(げいお)」に出演した。台湾のアーティストと共演し、与那国と台湾の歴史や文化を伝えた。「次は与那国と台湾で映画を撮りたい」と展望を描く。「小さい島だけどアジアにつながっていける。芸術を通して外とつながることが未来の島を守ることになる」と信じている。
(伊佐尚記)