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「最前線」を平和拠点に 潜在力を活用し緊張緩和へ 県の「地域外交」<自衛隊南西シフトを問う>11


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1995年7月から96年3月にかけて、台湾海峡を挟んで「有事」勃発の緊張が高まった。中国が台湾海峡で大規模軍事演習を展開し、台湾近海にミサイルを撃ち込んだからだ。96年3月23日に実施される台湾初の総統直接選挙で「独立派」と目され、勝利が確実視されていた李登輝氏の当選を阻むための揺さぶりを狙っていた。同月、米国は台湾近海に空母を派遣し「第3次台湾海峡危機」に発展した。

 同じ年の3月8日、中国は与那国島から西方約60キロの海域にミサイルを撃った。当時の大田昌秀知事は「県民に不安を与えるもので看過できない」として中国政府にしかるべき対応を取るよう外務省へ要請した。

 台湾も対抗して与那国島との間の公海上で射撃演習を行ったことから、県議会は中国と台湾双方に対して軍事演習に対する抗議決議と意見書を可決した。

 「危機」は李氏が当選したことと米国が空母を派遣したことで収束した。世界的に緊張は高まったが、当時の県庁内の危機感は薄かった。元副知事の上原良幸氏は「台湾海峡危機は国レベルの話で、県に危機感はなかった。それに当時の中国に今のような力はなく、米軍が抑え込められる情勢だったことも大きい」と振り返る。

 当時から25年以上を経て、沖縄を取り巻く環境は変わった。沖縄は新たな「台湾有事」を見据えた最前線に位置づけられ、自衛隊の戦力強化が進む。当時と違い、玉城デニー県政も紛争回避に向けた主体的な動きをするよう支持者から強く求められている。

 「じくじたる思いもある」。職員時代、アジアと近接する沖縄の潜在力を確信し、県産業振興公社台北事務所の設立や沖縄の国際交流の拠点化を目指す「国際都市形成構想」などに関わってきた上原氏はこう漏らす。

 沖縄は琉球王国時代にはアジアの貿易拠点だったこともあり、県職員は長年、アジアに近い地理的優位性や文化、歴史などのソフトパワーを生かした「平和拠点」となることを模索してきた。戦後に強いられてきた、過重な米軍基地負担の解消に向け、沖縄が世界の緊張緩和に貢献することは県にとって積年の思いとなっている。

 上原氏は「外交は国レベルの話で、経済振興が役割の県の海外事務所は安全保障の話は一切やっていなかった。だが、さまざまな情報は集まってくるので沖縄も少しは安全保障に貢献できたはずだ」と語った。

 外交は国の専権事項とされるが、玉城デニー知事は県の積年の思いをかなえるべく動き始める。2023年度から知事公室内に「地域外交室」を設置し、紛争回避に向け自治体外交に力を入れる。複数部局に所管がまたがる海外事務・駐在所や海外との連携協定(MOU)の情報を地域外交室に集約し、「司令塔」を担わせる。

 さらに玉城知事自身が台湾や中国などで緊張緩和に向けた「地域外交」を展開する方針だ。一例として、22年11月の台湾の統一地方選で中国との融和路線を取る国民党が躍進したことを受け、知事が国民党要人と面談する案も浮上する。

 県政与党関係者は「24年の総統選で国民党候補が勝利すれば、『台湾有事』の根拠は薄れる」とみて、知事が事前に国民党関係者と面談して台中の緊張緩和に向けた機運づくりに関わることも検討される。

 県幹部の一人は「沖縄が持つ平和力を緊張緩和に役立てたい。知事が国連で演説することも検討しつつ、今までビジネス拠点だった海外事務所も平和拠点に活用したい」と語った。

 沖縄が有事に巻き込まれる恐れが戦後最も高いと指摘される中、県が緊張緩和に向けて地域外交を展開する異例の事態となった。(梅田正覚)

 

連載「自衛隊南西シフトを問う」

2010年の防衛大綱で方向性が示された自衛隊の「南西シフト(重視)」政策の下、防衛省は奄美、沖縄への部隊新編、移駐を加速度的に進めてきた。与那国、宮古島に続き、今年は石垣駐屯地が開設される。22年末には戦後日本の安全保障政策の大転換となる安保関連3文書が閣議決定され、南西諸島の一層の軍備強化が打ち出された。南西シフトの全容と狙い、住民生活への影響など防衛力強化の実像に迫る。

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